〔アメリカ同時多発テロ事件〕

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アメリカ同時多発テロ事件

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同時多発テロは、この項目へ転送されています。その他の用法については「同時多発テロ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
アメリカ同時多発テロ事件

航空機の激突で炎上するワールドトレードセンター
場所 ニューヨーク(1度目と2度目)
アーリントン(3度目)
シャンクスヴィル(4度目)
標的 ワールドトレードセンターの北棟と南棟、アメリカ合衆国国防総省本部庁舎ペンタゴン
第4の標的は不明。ワシントンD.C.の場所だと考えられている。アルカーイダは合衆国議事堂が第4の標的になっていたと主張している。
日付 2001年9月11日(火曜日)
午前8時46分 - 午前10時28分(EDT)
攻撃手段 ハイジャック、自爆テロ
死亡者 2,993人(19人のテロリストを含む)
負傷者 6,291人以上
行方不明者 24人(遺体が確認されていない)
容疑者 アルカーイダ
アメリカ同時多発テロ事件アメリカどうじたはつテロじけん)は、2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した、航空機を使った4つのテロ事件の呼称である[1]。航空機によるテロとしては未曽有の規模であり、全世界に衝撃を与えた。

目次 [非表示]
1 名称
2 ハイジャックされた旅客機
2.1 アメリカン航空11便
2.2 ユナイテッド航空175便
2.3 アメリカン航空77便
2.4 ユナイテッド航空93便
3 被害
3.1 世界貿易センタービル
3.2 国防総省本庁舎
3.3 防空状況
3.4 首脳の動き
4 報道
4.1 アメリカ合衆国
4.2 日本
4.3 情報の混乱
4.4 映像・写真など
5 被害全体
6 アメリカ合衆国政府の対応
6.1 非常事態宣言
6.2 捜査
6.3 犯人引渡し要求
7 アメリカ市民の様々な反応
7.1 衝撃
7.2 愛国心
7.3 消防、警官隊員
7.4 娯楽・文化活動の自粛
7.5 放送自粛
7.6 イスラム教へのヘイトクライム
7.7 移動手段の変化
7.8 ブッシュ大統領の支持率
8 国際社会の対応
9 その後
9.1 跡地の再開発
10 事件の影響
10.1 対アフガニスタン人道援助
10.2 政権交代
10.3 金融市場
10.4 航空業界
11 陰謀説と都市伝説
11.1 陰謀説
11.2 都市伝説
12 関連資料
12.1 報告書
13 関連書籍
14 脚注
15 関連項目

名称 [編集]
日本では、この事件の略称として「同時多発テロ」「9・11テロ」「9・11事件」などと呼ぶ。但し、2005年にロンドンでロンドン同時爆破事件が発生したため、2001年の事件を「アメリカ同時多発テロ事件」「9・11テロ」と呼ぶことが増えた。広辞苑では、「9・11事件」と記載されている。

アメリカ合衆国やイギリスなどの英語メディアでは、この事件を「9/11」(September Eleven)、「Events of 11 September」(9月11日事件)、「11 September Attacks」(9月11日攻撃)などと呼ぶ。

一方で、ラテンアメリカでは、「9・11」というと、1973年9月11日にアウグスト・ピノチェトが起こした「チリ・クーデター」を指す事もある。この場合、2001年の事件を「9・11テロ」「アメリカの9・11」、1973年の事件を「9・11クーデター」「チリの9・11」と呼んで区別する。

ハイジャックされた旅客機 [編集]

各旅客機の世界貿易センタービルへの突入の様子2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループによってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室を乗っ取り、自ら操縦し、2機をニューヨーク・マンハッタンへ、残りの2機をワシントンD.C.へ向かわせた。

なお、乗っ取られた4機のうち2機がアメリカ合衆国ボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機である。この2種類の機体は、運行する航空会社のパイロットに互換性を持たせるために、コックピットの操縦システムは基本的に同じものが使われており、いずれも2人のみで操縦できるため、意図してこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと考えられている。

また、一部のハイジャック犯たちはアメリカ合衆国国内にある民間の航空学校で小型機の自家用操縦免許を取得した上、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている。

これら4機がいずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛ぶものであったのは、いずれも燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者もいる。なお、ハイジャックされ墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している。

アメリカン航空11便 [編集]
詳細は「アメリカン航空11便テロ事件」を参照


アメリカン航空ボーイング767-200ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空11便(ボーイング767-200型機・機体番号N334AA)は、乗客81名(日本人1名を含む)・乗員11名を乗せて、午前7時54分に遅延出発した。午前8時14分頃にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られたらしい。午前8時23分に進路を急に南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク世界貿易センター超高層ビルであるツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上。水平かつ高速で建造物に衝突したため、離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。

事故機に搭乗していた日本人はカリフォルニア州在住で、所用で東京に向かうため出張先のボストンから自宅に戻る途中だった。

11便衝突の瞬間をフランスのテレビ局から取材に来ていた兄弟のカメラマンが偶然撮影した。WTC至近にある消防隊に配属された新人消防士の成長を記録するはずであった彼らの取材は、やがて未曾有の事件に対峙する消防隊の活躍を記録するドキュメンタリー番組となり、日本やアメリカを含む世界各国で放送された。

ユナイテッド航空175便 [編集]

ユナイテッド航空ボーイング767。写真の機材は長胴型の-300詳細は「ユナイテッド航空175便テロ事件」を参照

ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きユナイテッド航空175便(ボーイング767-200・N612UA)は、乗客56名・乗員9名を乗せて、午前8時14分に遅延出発した。管制部とアメリカン航空11便のハイジャックに関する交信を交わした後、午前8時43分頃までにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られたらしい。直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変え、午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上。水平かつ高速で建造物に衝突したため、離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。

11便の突入ですでに多くの報道陣と見物人がビルの周りに集まっていた他、報道陣のヘリコプターも周辺を飛行しており、続く175便の突入では数多くの映像と写真が記録された。

アメリカン航空77便 [編集]
詳細は「アメリカン航空77便テロ事件」を参照


アメリカン航空ボーイング757-200ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発、ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空77便(ボーイング757-200:N644AA)は、乗客58名・乗員6名を乗せて、午前8時20分に出発した。午前8時50分ごろまでにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られたらしい。直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、通信不能となった。そして午前9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上した。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって激突の瞬間が目撃された。映像によるとほぼ水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突したらしい。水平かつ高速で建造物に衝突したため、離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。

なお、77便はホワイトハウスに向かおうとしたが太陽の反射で前が見づらく、たまたま近くにあったペンタゴンを狙ったのではないかという説もある。

ユナイテッド航空93便 [編集]
詳細は「ユナイテッド航空93便テロ事件」を参照


ユナイテッド航空ボーイング757-200ニューアークニューアーク空港)発サンフランシスコ(サンフランシスコ国際空港)行きユナイテッド航空93便(ボーイング757-200、N591UA)は、午前8時42分、乗客37名(4人のテロリスト含む)・乗員7名を乗せて、滑走路の混雑で41分遅延で出発した。93便離陸のわずか数分後、アメリカン航空11便が世界貿易センターに激突した。

乗客の機内電話からの通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られたらしい。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンへ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。

午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。午前 10時3分、ペンシルベニア州シャンクスヴィル(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に、時速9,33lm(時速580km)の対気速度で墜落した。公式の調査報告書では、乗客はコクピット内に進入できず、テロリストの操縦により機体を墜落させたと結論づけている。なお、地震計のデータから墜落の時刻を午前10時6分と公式記録と異なる報告がなされたが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。また、93便には日本人大学生1名が搭乗しており、日本へ帰国する為にサンフランシスコへ向かっていた最中に巻き込まれた。

乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に「Let's Roll(さあやろうぜ)」を合図にしたと言われている。この9.11事件以降のアフガニスタンへの「報復戦争」において、この「Let's Roll」は軍用機に描かれたり、空母乗組員が人文字を空中撮影する際に用いられたりするなど、しばらく「テロと戦うスローガン」とされた。

なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を基にした映画『ユナイテッド93』として2006年に公開された(この映画ではハイジャッカーたちに対して反撃した乗客たちがコックピットに進入して、操縦桿をハイジャッカーから奪いとって機体を上昇させる寸前であったかのように描かれているが、公式発表では実際にそこまで辿り着けていない)。高速で地上に衝突したため、離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。

被害 [編集]
世界貿易センタービル [編集]

炎上する世界貿易センタービル
崩壊した世界貿易センタービル世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上した。この時点では多くのメディアがテロ行為ではなく単なる航空機事故として報じた。ジョージ・W・ブッシュ大統領も「第一報を受けた時点では航空事故だと考えた」と発言した。1機目の激突は、数ヶ月前から地元消防署の日常を密着取材していたフランスのテレビ局から派遣されていた兄弟によって偶然撮影(ガス漏れの通報があり、出動していた消防隊に同行していた)され翌日に報道されている。

続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。2機目の激突は1機目の激突後に現場のテレビ中継を行っていた際に発生し、世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間に起こった事件であったため、前代未聞の衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事になった(この時点で、事故ではなく故意に起こされた事件であることが認識された)。また、2機目の旅客機が激突する瞬間はプロやアマチュアを含む多くのカメラマンにて撮影されている。

ツインタワーは、建設当時の主力ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった(衝突のダメージのみを換算されていたものであり、ジェット燃料の延焼による火災のダメージは換算されていなかった[要出典])。だが、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は縦シャフトを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。次いで火災の熱による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。かつて世界最高とされたツインタワーは両棟ともに完全に崩落した。

ツインタワーは、特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためである。南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした(自殺及び飛び降りの項も参照)。また崩壊時の破片や煙により、ビル外でも数人が命を落としている。一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助された。

北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、8時間後に敷地北隣の高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。これらのことからニューヨークでは合計で2749人が死亡するという大惨事になった。

この事件以降、世界貿易センタービル跡地は「グラウンド・ゼロ(爆心地)」とも呼ばれている。

国防総省本庁舎 [編集]

アメリカン航空77便が国防総省本庁舎に突入した瞬間の映像
炎上する国防総省本庁舎と突入したアメリカン航空77便の破片アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)は9時38分にアメリカン航空77便(ボーイング757)の突入を受けた。大爆発が引き起こされてビルの一部は炎上し、10時10分に4階が崩壊、10時15分に1階までが全て崩壊した。77便の乗客・乗員全員が死亡し、189人の国防総省職員も死亡した。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、すぐにFBIによって回収、調査された。

事故現場はボーイング757の機体の判別が困難なほど焼けたが、ビルの倒壊は5層になっているビル全体の1番と2番で抑えられた。また、この部分は長官執務室の反対側であり、ビルの補強工事中で普段よりも職員が少ないことが被害を抑えた。世界貿易センタービルへの突入の影響で情報は錯綜し、最初の報道は単なる爆発炎上というだけであったが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言された。

防空状況 [編集]
テロ当日は北アメリカ航空宇宙防衛司令部NORAD)の年に一度行われる訓練の日であり、東海岸から離れた場所で万全の防空体制で訓練に当たっていたはずだった。しかし連邦航空局(FAA)からアメリカン航空11便ハイジャック発生の第一報が入ったのは8時40分(それ以前に入っていたという説もある)ごろで、マサチューセッツ州のケープコッド南西部にあるオーティス空軍州兵基地(Otis Air National Guard Base)からF-15戦闘機2機がスクランブル発進したのは8時52分だった。

スクランブル発進したF-15アメリカン航空11便を追跡するよう命じられたが、発進した時11便はすでに突入した後だった。管制室は途中からユナイテッド航空175便を追跡させているという認識だったが、状況の把握が不十分で、パイロットも何を追跡しているか認識できていなかった。同機は一旦ロングアイランド湾で待機するよう命じられ、ニューヨーク上空への進入を命じられたのは175便が突入した後だった。しかしF-15には旅客機攻撃の権限が無く、突入を止めることは不可能だったとされる(進路妨害は可能だったという指摘もある)。

ワシントンD.C.には、ノースカロライナ州上空で訓練していたF-16戦闘機3機が呼ばれたが、飛来したところで基地への着陸待機を命じられた。3機はアメリカン航空77便の追跡を命じられ再度離陸したが、もともと訓練中だったために燃料が不足し始め、うちの2機は訓練用の模擬弾しか装備していなかった。9時30分に別のF-16が3機発進し、ワシントン近くに飛来したが、これらには攻撃用のサイドワインダーが装備され、旅客機撃墜の権限が与えられていた。しかし、結局77便に合流することは無く、9時38分にペンタゴンへの攻撃の阻止には至らなかった。

オハイオ州上空を飛行していたユナイテッド航空93便の付近で、積荷の搬送を行っていたC-130輸送機が、管制官から93便を捕捉するように命じられた。C-130は93便墜落の際、17マイル離れたところに位置していた。また、ワシントンD.C.から実弾を搭載した1機のF-16が93便の追跡に向かったという話もある[要出典]。

NORADから10時6分にスクランブル発進命令があった2機のF-16が発進したのは10時16分だった。別の2機のF-16が93便を追跡していたという話もあるが、公式な発表にはない。さらに事故から約10分後に現場のはるか上空を戦闘機らしい航空機1機が通過するのを目撃された。NORADはFAAから93便墜落の報告を受けたのは10時15分で、10分近く93便の追跡を続けさせていた。

FAAがアメリカ合衆国中のすべての空港の閉鎖の措置を決定したのはツインタワーへの2度目の攻撃の直後からで、9時45分に全米の空港からの民間機の離陸が停止され、飛行中のすべての民間機は直ちに最寄の空港へ着陸するよう通告された。

首脳の動き [編集]
ジョージ・W・ブッシュ大統領はフロリダ州におり、同州サラソタにあるエマ・E・ブッカー小学校の授業を視察する予定だった。1機目のツインタワー攻撃の際には小学校へ向かう専用車の車中にいたが、このときは航空事故だと考えていたとされる。ただし、一時的にホワイトハウスとの間で電話会議が行われた。また補佐官ら周辺も同じように事故と考え、予定通り小学校へ入った[要出典]。


エマ・E・ブッカー小学校で連絡を行うブッシュ大統領
大統領専用機内でチェイニー副大統領との連絡を行うブッシュ大統領授業視察中に2機目のツインタワー攻撃があり、数分後、ブッシュ大統領がカード首席補佐官から視察中のブッシュ大統領に2機目の突入と「合衆国が攻撃されている可能性がある」との報告を受けたが、ブッシュ大統領は「無駄な動揺を与えない為に」との理由ですぐに動かずに7分間、小学生の朗読を聞き続けていた(この映像は後に『華氏911』などで取り上げられ、「事態の深刻さを把握していなかった」とされ大統領の対応が批判された)。

朗読が終わるとブッシュ大統領は小学生を誉め、ただちに隣室で補佐官と話し、電話でライス補佐官と州知事に連絡した。その後、テレビカメラで国民へ呼びかけ、9時30分頃に小学校から出発し、3マイルのところにある空港へ向かった。大統領専用機が離陸したのは9時55分である。このとき護衛の戦闘機は無かったが、このときアメリカ国内上空には、未だに連絡の取れない旅客機が11機あった。その後、空軍基地で事態の沈静化を待ち、夕刻にワシントンD.C.へ帰還した。

チェイニー副大統領と数人の閣僚、ライス国家安全保障担当補佐官(当時)はホワイトハウスで執務を行っていた。彼らはツインタワーへの2度目の攻撃の直後、シークレットサービスにつれられて地下壕へ避難した。なお、未確認であるがホワイトハウスの屋上には防空用のスティンガーミサイルが備え付けられている。その後、閣僚らがヘリコプターで避難したのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。また、チェイニー副大統領は軍事補佐官に攻撃許可を求められ、ブッシュ大統領が不在の為、乗っ取られた飛行機の撃墜を許可した。しかし決定が出たのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。

ラムズフェルド国防長官は上級軍人と朝食をとった後、ペンタゴンの執務室へ入って議員と懇談していた。ラムズフェルド国防長官にツインタワー「攻撃」の知らせが入ったのは、ペンタゴン攻撃のわずか2分前であり、アメリカン航空77便がワシントンに向かっていることは知らなかった。また、平時のペンタゴンにはホワイトハウスのような防空装備が無い。攻撃の後、ラムズフェルド国防長官が建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていた為、彼女を抱えて避難し、救急車が来るまで看病していた。現場から避難したのはその後で、数十分が経過していた。

パウエル国務長官南アメリカのペルーを訪問中であったが、ツインタワーおよびペンタゴンへの攻撃の報告を聞いてすぐに帰国した。

ロシア連邦プーチン大統領は、この一報に対し「アメリカ合衆国軍が必要な動員をかけたとしても、直ちにロシア連邦軍に迎撃体制を取らせることはない」とホットラインでブッシュ大統領に告げた。ロシア連邦軍にはソビエト連邦軍時代から継続して、アメリカ軍が大規模な動員をかけるとそれに反応する様に指揮系統が準備されている。

報道 [編集]
同時多発テロ事件はテレビ、ラジオ、インターネットなどを通じて全世界にリアルタイムで伝えられた。連日、新聞や週刊誌なども最大級の扱いで事件を伝えた。

アメリカ合衆国 [編集]

事件の放送を行うアメリカのテレビニュースを見つめるプラハ市民テレビが朝のニュースショーなどを放送していたニューヨーク時間(アメリカ東部夏時間)8時46分、ハイジャックされたアメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に突入・炎上した。

CNNは8時49分から、ABC、CBSなど他のテレビ局も8時50分前後から特別報道番組を開始。世界貿易センターのそびえ立つロウアー・マンハッタン方面を向く情報カメラや、マンハッタン上空あるいは隣のニュージャージー州上空を飛ぶ報道ヘリコプターが建物の様子を伝え始めた。報道番組が始まって間もなく、フロリダ州サラソータの小学校を訪問していたブッシュ大統領も側近から事件を知らされた。

推移を見守っていた矢先の9時3分、1機目突入から18分後、南棟にユナイテッド航空175便が突入した。建物から巨大な炎が上がり、目に見える限りの状況を伝えていたアナウンサーはこの瞬間、一様に悲鳴や叫び声を上げた。数分後、ブッシュ大統領がカード首席書記官に2機目の突入を耳打ちされた。この時の映像はすぐには放送されなかったものの、のちに映画「華氏911」などで広く使われることとなる。

首都と連絡を取り合った大統領は9時30分に演説を開始。テレビ各局も大統領の第一声を放送した。その後、サラソータを飛び立つエアフォース・ワンの映像も伝えられたが、目的地は不明確なままであった。政府首脳陣の緊張が高まる中、9時37分、アメリカン航空77便がペンタゴンに墜落した。

ほぼ同時刻、ハイジャックされたユナイテッド航空93便の乗客・客室乗務員は地上にいる家族などに機内電話をかけ始めていた。すでに全米のテレビは事件報道一色となっており、その映像を見た何人かが電話を通じ、93便上にいる乗客などにニューヨーク・ワシントンで起きている事件の模様を伝えた。乗客たちはこうした情報を入手したことでハイジャックが自爆攻撃の一環であると悟り、93便の奪還を図ったものと考えられている。

アメリカ合衆国のテレビはその後、世界貿易センタービルが次々に崩落する瞬間を中継し(南棟9時59分、北棟10時28分)、さらに93便がペンシルベニア州に墜落したと伝えた(10時3分墜落。報道は30分以上後)。一連の事件は衛星を通じて世界中のテレビに同時中継された。テロ報道は日曜深夜まで休むことなく、CMもなしで放送し続けた。特にネットワーク3局の夕方ニュースのアンカーは最長で1日17時間に渡って伝え続けた。

この週は新番組が始まる時期だったので、軒並み放送が順延され、内容変更を強いられた番組もあった。ヨーロッパ諸国でも同様の特別報道がなされた。また、アメリカ国内に本部を置くCNBC(ヨーロッパ/アジア向け)やCNNインターナショナルにて、本来あまり放送されないアメリカ国内向けの放送を全編放送し続けた。

ネブラスカの空軍基地などを経てホワイトハウスに無事帰還したブッシュ大統領は20時30分、全米に向けた演説を行い、国民にアメリカ国家が未だ健在であることを示した。この演説も全世界に伝えられた(日本では12日9時30分)。

日本 [編集]
以下、日本における報道については日本時間を使用する。
現地時間(アメリカ東部夏時間)は、日本時間から13時間を引いて算出して戴きたい。

2001年9月11日は台風15号台風16号が関東地方と沖縄を襲い、多くの被害をもたらしたため、テロ発生までのニュース番組はこの話題一色となっていた。22時ごろ、「ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が激突(1機目のアメリカン航空11便)」という情報が、各局のニュース番組またはニュース速報で伝えられ始めた。22時から始まった「NHKニュース10NHK総合)」でも、冒頭のヘッドラインは台風の話題だった。しかし、カメラの前に登場したキャスターが発した最初のニュースは台風ではなく、このテロの第一報だった。

第一報を伝えるニュースの画面に映し出されたのは「炎上するビル」の第一報であり、「事故」なのか「事件」なのかは明らかでなかった。1機目激突の瞬間を捉えた報道機関のカメラはなく、フランス人カメラマンが撮影した映像は翌日まで放送されなかった。ただ、NHKニュース10に出演していたコメンテーターは、晴天時での不可思議な激突状況からか2機目突入前からテロの可能性を指摘していた。CNNでも同じような理由からテロの可能性が指摘されていたが、同時に、1945年7月28日にエンパイアステートビルアメリカ陸軍のB-25爆撃機が衝突した事故を例に挙げ、操縦ミスによる突発的な事故である可能性も指摘していた(なお、1945年の事故のときは深い霧が出ていた)。また、この時点で「激突した航空機は小型の双発機」であるとの情報が報道されていたが、「小型」の根拠や、「双発機」という語の解説がなされないなど、情報が錯綜していた。

直後の22時3分、2機目のユナイテッド航空175便がツインタワーのもう1つ(南棟)に突入。アメリカのテレビ局の映像を使い生放送を行っていたNHKニュース10では、この瞬間が生中継された[2]。映像では、画面右側から飛行機が現れ、燃え上がる北棟の真後ろに隠れるように見えた。北棟の真後ろには南棟があった。数秒の後、南棟を襲った巨大な爆発によって炎と黒煙が上がる様子が映し出された。南棟が北棟に隠れていたため画面を通して見れば1機目の激突で炎上する北棟が2度目の大爆発を起こしたように見え、NHKの支局の報道者は単に「今、また爆発がありました」と伝えた。この認識は一部の視聴者も同様であったが、アナウンサーが「あっ! 今、2機目の飛行機が突入したように見えましたが!?」と聞き返したことにより、中継を見ていた視聴者は事の重大性かつ異常性を認識するに至った。この映像は数日の間、何度となく繰り返された。

定時の21時54分より放送を開始していたニュースステーションでは番組開始からCNNの映像をそのまま放送しており、1機目激突後の時点ではまだ事故と考えられていたため、1機目の激突により炎上する北棟の映像を暫く流した後、台風関連のニュースを伝えていた。この間に2機目の突入が起こったため、突入の瞬間は生放映されなかった。しかしすぐに再びWTC関連のニュースに切り替えられた。尚、この時メインキャスターの久米宏は夏季休養中であり、進行は渡辺真理が務めた。

22時20分頃、NHKは「旅客機がビルに激突したとみられる」と伝えた。22時30分、フロリダ州の小学校を訪れていたブッシュ大統領が記者会見で「明らかなテロ」と発言した。22時45分頃、「ペンタゴン国防総省)が炎上」というニュースが各局で伝えられ、ニューヨークとワシントンの一連の事件は「同時多発テロ」であるとの見方が固まった。間もなく炎上するペンタゴンの映像も放送され、爆発・火災の原因が3機目の旅客機の可能性があると伝えられた。旅客機がハイジャックされていたという現地メディアの報道も国内に伝えられ始めた。

各ニュース番組では、2つの台風や、前日の千葉県における狂牛病疑惑の牛発見など、放送予定だった他のニュースより優先して、ニューヨーク・ワシントンとの中継映像が放送され続けた。時間(事件の拡大)とともに民放各社も次々に通常番組を打ち切り、臨時ニュースの放送を開始した。TBS系列は22時37分、放送中の毎日放送制作ジャングルTVタモリの法則〜を途中で打ち切り、筑紫哲也ニュース23を前倒しで開始。フジテレビではドラマ「ウソコイ」最終回を放送中だったが、番組の途中でニュースを何度か流した後、ドラマ終了直前から報道特番を開始した。


世界貿易センタービルが崩壊した直後23時過ぎ、世界貿易センタービルの一つが崩壊したと報道され(南棟)、23時半過ぎにはビルの両方が崩壊したと報道された(北棟)。NHKではどちらもワシントンと中継を結んでいる間に崩壊が起こり、崩壊の映像は中継されなかった。しかし間もなく、巨大な超高層ビルが次々に崩壊し、膨大な瓦礫と化してマンハッタン南部が炎と煙で覆われるという衝撃的な映像が全国に報道された。23時40分頃、4機目(ユナイテッド航空93便)がペンシルベニア州西部に墜落したというニュースが伝えられた。NHKのアナウンサーは次々と起こる惨劇を報道する中で「信じられないような映像をご覧いたただいていますけれど、これは現実の映像です」と発言した。

日本のほとんどのメディアは徹夜でニュースを伝え続け、民放テレビ局は深夜のCMが全面休止され終夜放送を行った[3]。

翌9月12日の午前6時25分、世界貿易センターの第7ビルが崩壊した。8時30分ごろ、日本人の大学生1人がユナイテッド航空93便に搭乗していたと報道された。9時30分からブッシュ大統領ホワイトハウスで行った演説が中継され、10時20分から小泉首相福田官房長官首相官邸で記者会見を開始した。午後1時50分ごろ、1機目激突の瞬間を撮影したフランス人カメラマンの映像が放送された。こうしてこの日もほとんどテロ事件関連ニュース一色となった。夜のゴールデンタイム枠ではお笑い・バラエティ番組が休止され、特別番組が放送(TBSのナイター中継は通常時間より1時間短縮放送し、特別番組を放送)された。

テレビでは事件から1週間ほどは通常番組を削って特別報道番組を組む放送局もあった。また、ビルが破壊されるシーンのあるパニック映画が自粛されるなど影響が出た。新聞各紙も大見出しで事件を伝え、号外も発行された。多くの週刊誌も大きく事件を伝えた。

情報の混乱 [編集]
同時多発テロ」と呼ばれるようにテロ行為は短時間に連続発生し、[4]その規模・被害は当時の社会において、従来型の「テロ」や「犯罪」の概念をはるかに上回るほどの凄まじさだった。そのため情報が錯綜して正確な情報をつかめない状況が続いた。事件発生直後の数時間(場合によっては数日間)、次に挙げるような誤報があった。以下は当日・翌日の日本の各新聞・テレビ報道で確認された誤報の一部である。日本の多くの新聞は訂正が締切時間に間に合わず、結果的に翌12日の朝刊のいくつかの掲載が誤報になった例も含む。

ハイジャックされた飛行機の便名・航空会社の取り違え(12日未明に確定)
「被害者は6名死亡・約1000名負傷」(1993年の爆破事件の数字。ビルの崩壊後「数千人の可能性」に)
PFLPパレスチナ解放人民戦線が関与」(数十分後、ダマスカスの本部でスポークスマンが否定と報道)
国務省で自動車爆弾爆発」(誤報。被害なし)
ホワイトハウス連邦議会付近で爆発」(誤報。いずれも被害なし)
ペンシルベニア州で墜落した飛行機はボーイング747」(誤報ボーイング757
「11機の旅客機がハイジャックされ、数機が行方不明」(誤報。4機以外にハイジャック機は存在しない。全米に飛行禁止令が出された後も連絡が行き届かず、飛行を続けていた航空機が11機存在したことによる。ユナイテッド93でも描写されている)
「ハイジャック機がキャンプ・デービッドに向かっている。その後の報道でキャンプ・デービッドに墜落した」(誤報
これらの状況はアメリカ合衆国でも同様で、最初は激突した航空機も大型ジェット旅客機ではなく小型民間機(単発もしくは双発小型プロペラ機など)と報道されていた。

映像・写真など [編集]
テレビでは事件発生直後から、ありとあらゆる方向から記録された映像が何十回、何百回となく繰り返し放映された。何れにせよ数千人が殺害された事件の映像であり、遺族や関係者、さらには子どもにショックを与える可能性があるとされ、次第に自粛を要請する声が上がった。

事件後の新聞各紙や週刊誌などには、ビルが炎上・崩壊する写真のみならず、血まみれでうずくまる市民やビルの上層階から飛び降りる人の写真などが大きく掲載された。アメリカ合衆国では後者の写真をめぐって論争が起こった。アメリカで最大の信者を持つ宗教であるキリスト教は自殺を禁じているからである。2006年にイギリスで製作されたドキュメンタリー「フォーリング・マン」は、この論争を取り扱ったものである。


ユナイテッド航空93便の残骸一連の事件を記録した写真や映像は、各マスコミのみならずマグナム・フォトのようなプロフォトグラファー、あるいは事件を目撃した市民によって大量に残された。マグナムは「NEW YORK SEPTEMBER 11」と題して写真集を発売した(日本版あり)。ニューヨークでは事件後に写真展覧会が行われ、それらの写真はインターネットで公開されたほか、「HERE IS NEW YORK」と題した写真集として発売されている(日本語版なし)。

2006年に公開されたユナイテッド航空93便を描いた映画「ユナイテッド93」や「ワールド・トレード・センター (映画)」でも、事件を伝えるテレビ局の映像が使われている。なお「ユナイテッド93」では当時の様子を極力再現するため、情報伝達の混乱や誤りなどがそのまま伝えられている。

被害全体 [編集]

事件現場に張られた行方不明者の安否を尋ねる張り紙この無差別テロ事件の犠牲者は、すべての死者を合計すると2,973人とされている。内訳はハイジャックされた4機の旅客機の乗員・乗客が246人、アメリ国防省で125人。世界貿易センタービルで2,602人とされている(あくまで「確認された人数」ということであり、実際には多少の誤差があると言われている)。

このうち世界貿易センタービルでの死者数には、ニューヨーク市消防署の消防士343人、ニューヨーク市警察の警察官23人、ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。

このほかにも世界貿易センタービルではこの事件の被害者と思われる24人の行方不明者がいる。なお、ビルの残骸に含まれていたと考えられる約1,100人の遺体は最後まで発見できなかった。遺体はもちろんあらゆるものが、粉々に破壊されて散乱した。近隣のビルの屋上で発見された遺体の破片もある。ハイジャックされた機体のひとつにはナショナル・ジオグラフィック誌の記者と写真家、彼らと同行していた子供たちが乗っていたとされている。

現場はビルの鉄骨に吹き付けられていた石綿やコンピュータや蛍光灯からの水銀等の危険な粉塵も含まれていて、救難活動を行った犬が次々に死に、肺に障害を訴える人が次々に出ているにもかかわらず、アメリカ政府はそれを否定し、EPAも「空気は安全」と報知したことから、いち早くウォールストリートを開けるのを優先したのではないかという意見もある。

アメリカ合衆国政府の対応 [編集]
非常事態宣言 [編集]
ブッシュ大統領は速やかに非常事態を宣言した。世界貿易センタービルペンタゴンへの攻撃がなされた後しばらくの間は、さらなるテロに備えて、州兵、予備役が動員された。空港などには厳戒態勢が敷かれ、全ての国境が封鎖された。また、FAAの命令によりアメリカ国内の民間航空路の封鎖、アメリカ領空内への民間機の入域・通過が禁止され、領空内を飛行中の民間機は全て最寄の空港に強制的に着陸させられた。これにより多くの外国人がアメリカ国内に足止めされた。これらの措置は数日間続いた上、この措置が行われた地域はアメリカ本土のみならず、アメリカが航空管制を担当しているグアムやパラオ周辺などの南太平洋の一部地域や、北大西洋の一部地域など広範囲に及んだ。

捜査 [編集]
この事件においては、ハイジャック犯の機器操作ミス(犯人側は乗客に向けて、機内放送をするつもりだったと見られるが、機内放送用のスイッチではなく、管制塔とのやり取り用の無線スイッチを押していた)によってコックピット内の会話が管制室に入るようになり、アラビア語を話していることから、おそらくはアラブ人が犯人であることが早期に推測できた。

また、客室乗務員は機内電話を使用して会社へハイジャックを報告し、犯人の特徴、人数と座席番号を伝えた。このため、航空会社は犯人の氏名、住所、電話番号からクレジットカードの使用履歴までを把握することが可能となった。また、数名の乗客も手持ちの携帯電話や機内電話で家族や友人にハイジャックの事実を伝えた。これらの電話の会話は殆どが機体の破壊の時まで続いた。この内いくつかの会話は録音されており、事件調査に使用された。

犯人引渡し要求 [編集]

オサマ・ビンラディン(右)アメリカ合衆国政府はこれらの捜査の結果から、このテロ攻撃がサウジアラビア人のオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカーイダ」によって計画・実行されたと断定し(またアルカーイダもこれを否定しなかった)、彼らが潜伏するアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求した。

しかし、アルカーイダを保護していたターリバーン側は引き渡しを拒否。これに対してアメリカ合衆国軍はアフガニスタンのターリバーン政権に対して攻撃を開始した。なお、湾岸協力会議を構成するアラブ諸国もテロ攻撃を批判し、アフガニスタン攻撃を支持する声明を出した。

以降の推移はアメリカのアフガニスタン侵攻を参照
アメリカ市民の様々な反応 [編集]
衝撃 [編集]
この事件がアメリカ合衆国国民に与えた衝撃は当然大きかった。冷戦終結後、世界で唯一の軍事超大国としての絶対的な存在感を有していたアメリカ合衆国の本土が、他国から攻撃を受けることについて、アメリカ合衆国国民は強い衝撃を受けた。また、アメリカ合衆国がこれほどの衝撃のある武力攻撃を受けたのは、真珠湾攻撃以来であることを強調する論評も見られた。世界一の超大国であるアメリカ合衆国が、特定のテロリストグループないしはそれを支持する国からは、そこまでの嫌悪感を持って見られるということを、アメリカ合衆国国民は否応無く突きつけられ、余計に打ちひしがれることとなった。

その様な中、テロに対する報復は憎しみの連鎖を引き起こすだけだと、冷静さを取り戻し報復へ走らないようにすることを強調する人々もおり、アメリカ合衆国政府による報復攻撃を危惧する多くのミュージシャンは報復攻撃が行われていない時点で反戦のイベントを開催した。

愛国心 [編集]
喪失感が充溢する中でアメリカ合衆国国民は、求心力を愛国的な意識を共有することに求め、速やかな報復を肯定する世論が形成されていった。具体的な物的証拠が挙げられないうちから、CNNなどのアメリカ合衆国の大手マスコミなどにおいても、イスラム原理主義を信奉するアラブ系人種によるテロ説が唱えられ(同じような事は、ミリシアによるオクラホマシティの連邦ビル爆破テロや、大韓航空機爆破事件、オウム真理教による東京の地下鉄サリン事件の際にも発生した)、流言に乗った市民によるアラブ系住民の暴行事件が多発、アラブ系男性が射殺される惨事にまで発展した。また、ヨルダン系アメリカ人アメリカ兵がテロ後に受けた差別がきっかけにより、8年後の2009年11月5日に陸軍少佐がフォートフッド陸軍基地で銃乱射事件を起こしている[5]。

これに対し、アラブ系アメリカ人には「Arabic Americans support U.S.(アラブ系アメリカ人は合衆国を支持する)」などと書いたと横断幕を自家用車に掲げ、アメリカ合衆国の味方であることをアピールした者もいた。事件発生直後のテレビ報道の中で、中東系の人々が勝ち誇ったように興奮する映像が流されるなど(本テロ攻撃との関係は全く不明)、いわゆる国家的陰謀論に結びつくような偏った報道が事件直後から行われていたとする説もある。


世界貿易センターで徹夜で捜索する救助隊(大統領時代にはビンラディンを脅威と考えていた)前大統領であるビル・クリントンは、「同時多発テロ事件を見て、それが直ちにビンラディンによるものだろうと考えた」と後に述べており、方法はともかくとしても、アメリカ合衆国に対するイスラム原理主義勢力によるテロ攻撃の可能性は以前から意識されていたものである。

消防、警官隊員 [編集]
炎上する世界貿易センターに取り残された人々を救出すべく命がけでビルに突入し、ビルの崩壊で命を落とした警官隊や消防隊員に対してその勇気と献身的態度を賞賛する声がアメリカ合衆国のみならず世界中から寄せられ、その遺族に対する募金や手紙も世界各国から寄せられた。

また、同じような賞賛は有毒物質が散乱する事件現場で遺体や遺留品の捜索を行った作業員たちにも同様に寄せられた。この様な中で、ニューヨークに在住している日本のミュージシャンの坂本龍一は、「再度テロ攻撃が起きた際に逃げられるように(高級SUVの)レンジローバーを買った」と雑誌内で発言し批判を浴びた。

娯楽・文化活動の自粛 [編集]

世界貿易センターにおける捜索作業の終了に対する式典(2002年5月28日)テロ以降、ニューヨークでは数々のアトラクションが、市民感情およびセキュリティ上から興行中止となった。また週末に予定されていたNFLのレギュラーシーズンも中止が決定された[6]。

しかし、ブロードウェイのミュージカルやメジャーリーグをはじめとする多くのプロスポーツは程なくして再開し、打ちひしがれたアメリカ合衆国国民の心を慰めた。

放送自粛 [編集]
また、全米1200もの系列局を傘下にもつラジオ放送大手のクリアチャンネル(Clear Channel Communications)は、事件直後に放送自粛曲リストを作成した。リストには以下のような著名なアーチストの名曲が多数含まれ物議を醸した。

ルイ・アームストロング「この素晴らしき世界」
クイーン「地獄へ道づれ」・「キラー・クイーン」
ジョン・レノン「イマジン」
ビートルズ「涙の乗車券」・「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」・「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」・「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」
サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」
レッド・ツェッペリン「天国への階段」
ドアーズ「ジ・エンド」
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン 全曲
映画関連ではアメリカ合衆国国内や同盟国では、ニューヨークを舞台にしたりテロをモチーフにした映画は「被害者に不謹慎」として公開を延長、または自粛する作品が相次いだ。日本でも2001年9月14日の「金曜ロードショー」で、ニューヨークにおける爆破シーンがある『ダイハード3』が放送予定だったが自粛され、その他の映画も自粛された。

コラテラル・ダメージ
スパイダーマン
イスラム教へのヘイトクライム [編集]
同時多発テロの後、アメリカではイスラム教に対する敵視が広まり、アラブ、東南アジア人(男性なら頭にターバンを巻き、髭を生やした人、女性ならば肌を隠すヒジャーブという布を被った人)に対するヘイトクライムの数が急増した。イスラム寺院イスラム教の学校、中東系のコミュニティセンターには電話や手紙による脅迫が相次ぎ、落書き、投石、火炎ビン、銃弾などが飛んできたり、豚の血を入れた箱をモスクの入り口に置いておくという悪質な嫌がらせである。道を歩いていても罵声を浴びたり、アラブ系経営者のお店、特にガソリンスタンドも危険なため、閉鎖せざるをえない状況になった。イスラム教信者は1日5回の祈りをするが、そのお祈りの中心寺院であるモスクも暴動を恐れて閉鎖された。大学キャンパスでは中東系の学生が卵を投げつけられたり、職場では突然解雇されたり、数々の嫌がらせがアメリカ国中で広がった。アラブ系には全員身分証明書を携帯する事を義務づける案に対して賛成者が49%、アラブ系を強制送還させようという案には58%ものアメリカ人が賛成する結果が出た。アラブ系住民=テロリストと差別的に見られることが多くなっており、公共の場所での執拗なセキュリティチェックが行われる事もある。真珠湾攻撃による日系人の強制収容に類似しているために日系アメリカ人はアラブ系アメリカ人への差別に対し同情的な者もいる[7]。

移動手段の変化 [編集]

オヘア国際空港を訪問し、航空会社社員から歓迎を受けるブッシュ大統領(2001年9月27日)テロ攻撃の後、アメリカ人の多くが民間航空機による移動を避けて自家用車による移動を選択したために、同年の10月から12月までのアメリカ合衆国における自動車事故による死者の数は前年比で約1,000人増加した。また、アムトラックやグレイハウンドなどの、民間航空機以外の中長距離交通機関やレンタカーの利用者も急増した。

ブッシュ大統領の支持率 [編集]
事件直前、ジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率は、50%を切っていた。そもそも、前年の大統領選挙は僅差での勝利であるために、また大統領選における大規模な混乱は選挙の正当性への議論を招いたことから、選挙直後から政権支持率は高くなかった。大統領就任後の初めての大きな事件としてその指導力が国民の注目を浴びることとなり、それがテロとの戦争として位置づけられたことから、事件直後には国民の支持率は9割に到達、いみじくも政権最初の年から国民の支持を得た形となった。

国際社会の対応 [編集]
このテロに対する国際的な反発は大きかった。国連は9月12日にテロ非難決議を採択。北大西洋条約機構 (NATO) とロシアは、「国際社会が結束してテロと戦うべき」という共同声明を発表した。

また、欧米諸国だけではなく、日本やサウジアラビア、インドなどのアジア諸国アメリカ合衆国を支持し、1980年代にパンアメリカン航空機に対するテロを支援した過去のあるリビアや、タリバーンの公然たる後援者であったパキスタン、イランアメリカ大使館人質事件以来アメリカとは犬猿の仲であるイランでさえ犯人グループを非難し、アメリカ合衆国に対する支援に同意した(但し、アメリカ合衆国はこの後、後述するようにアフガニスタンイラクに侵攻するが、これが中東の反米感情を刺激したことを原因として2007年にはイランがイラク国内の過激派に武器を供与している疑いがあると報道された)。

2006年11月14日に、反米的なウゴ・チャベス大統領率いるベネズエラの国会は、アメリカ合衆国大統領に呼びかける決議案を満場一致で採択した。メキシコ国境における壁の建設を激しく攻撃し、第4章で、「イスラム・テロとの戦争」の根拠となった2001年9月11日の事件について『ブッシュ政権が、ワールド・トレード・センターとその犠牲者に対する自爆テロに関し、またペンタゴンに激突したとされる航空機についての明確な釈明、およびビンラディンとブッシュ家との関係を提示するよう強く』[2]要求している。

その後 [編集]

在りし日の世界貿易センタービル
2004年9月11日、ツインタワーが光線によって再現された
2005年時点の現場跡地ブッシュ政権は、このテロ事件後のアメリカ合衆国世論の変化に合わせて、2002年に国際テロ組織とテロ支援国と断じた悪の枢軸イラク、イラン、北朝鮮)との戦いを国家戦略とし、「アメリカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」として推進する方針を決めた。これをもとに、アメリカ合衆国イラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切った。

この行動に対しては、アフガニスタン(=ターリバーン政権)攻撃と異なり、国際的な態度は分かれ、イギリスや日本、フィリピンやスペイン、イタリアなどのアメリカ合衆国同調国と、フランスやドイツ、ロシア、中華人民共和国などのアメリカ非同調の立場に分かれた。

その後の2004年10月、アメリカ合衆国政府調査団は「開戦時にはイラク国内に大量破壊兵器は存在せず、具体的開発計画もなかった」と結論づけた最終報告書を米議会に提出。2006年9月には、アメリカ上院情報特別委員会が「旧フセイン政権とアルカイダの関係を裏付ける証拠はない」との報告書を公表しており、開戦の正当性が根底から揺らぐ結果となっている。

詳細はイラク武装解除問題又はイラク戦争を参照
またブッシュ大統領は、イラク戦争後の2004年に中東首脳を招いて会談を開き、サウジアラビアやシリアの様に王制や独裁が色濃い中東各国がテロの温床になっているとして、これらの国々を民主化すると宣言し、中東各国は“それぞれの国情を無視しアメリカ式を押し付けるもの”と強く反発した。アメリカ合衆国は中東民主化を今後の外交の方針に掲げるとしているが、この様な強権的なやり方には中東諸国のみならず、多くの国から批判が集中している。

さらに、「アメリカ合衆国アメリカ合衆国であり続ける為に必要」として、「愛国者法(反テロ法)」を制定、2005年7月には暫定法であった同法を恒久化。市民のプライバシーを大幅に制限、公安活動の用に供するとして、また12月には、国家安全保障局の行なう不法な盗聴を大統領権限で事実上黙認していた事、2006年5月には、“テロリスト関係者、またはそれらと少しでも接触のあった外国人”をアメリカ合衆国入国の際に令状抜きで不法に連行・収監(=拉致)、自白を取る為の拷問がCIAとFBIによって行なわれていた事が明らかになるなど、全体主義化傾向が国内のリベラリスト・市民団体から批判されている。

跡地の再開発 [編集]
世界貿易センターの跡地については、遺族から慰霊の場としてほしいという意見もあった。しかし多くのオフィススペースを失ったためにニューヨークから企業が流出することを恐れた市当局や、跡地を所有してきたニューヨーク・ニュージャージー港湾局らは、金融街に近くビジネス街の一等地であるこの場所に新たなオフィスビル・商業施設と交通ターミナルの再建を希望した。当初の再建案はあまりにも経済復興の色が強く遺族の反対で撤回され、改めて世界の建築家を集めて行われた建築設計競技の結果、アメリカ人建築家ダニエル・リベスキンドの案が採用された。

2004年7月、世界貿易センタービル跡地に再びビルを建設するための起工式が行われた。敷地内には旧南棟・北棟跡の祈念スペースを囲むように数本の超高層ビルが建ち、最も高いビルは「フリーダム・タワー(自由の塔)」と名づけられ、アメリカの独立した1776年にちなんで、1776フィート(約541メートル)の高さとなる。2013年完成予定。周囲にはタワー2、タワー3、タワー4、タワー5が建つ予定。

一方、世界貿易センタービルの残骸には、発見されない相当数の遺体が含まれると思われた。遺体はDNAすら判別できないほどに傷んでいると思われるが、遺族は取り扱いに非常に神経を尖らせていたため、残骸は廃棄することができず、ごみ処分場に大量に放置されている状態であった。しかし、2005年3月初め、当局はおよそ1100人分の身元が判明できないまま確認作業を中止すると発表した。鉄骨類は屑鉄として再利用のためインドへと輸出された。

事件の影響 [編集]
9・11テロは、アメリカ合衆国の政治、そして冷戦終結後の国際社会の大きな転換点となった。9・11テロが勃発する前には、「アメリカ合衆国国民の記憶に残る日」は、1963年11月22日のジョン・F・ケネディ暗殺事件、或いは1941年12月7日(日本時間12月8日)の真珠湾攻撃であった。これらに代わって、アメリカ国民は、この2001年9月11日を永遠に記憶にとどめることになった。


ネオコンの代表的人物」とされるブッシュ大統領とウォルフォウィッツ国防副長官
ブッシュ大統領サウジアラビアのアブドラ皇太子(現国王)また、9・11テロは、外国の軍や過激派がアメリカ合衆国を襲撃した事件として、真珠湾攻撃と度々対比されている。真珠湾攻撃アメリカ本土ではなくハワイが襲撃された事件であったが、9・11テロはアメリカ本土が襲撃された事件という意味でも衝撃的な大事件ともなった。しかも、真珠湾攻撃と9・11テロは干支が同じ辛巳であり、「60年後の真珠湾攻撃」とも呼ばれた。2001年12月に開かれた真珠湾攻撃60周年のイベントでも、真珠湾攻撃と9・11テロが一緒に言及された。

アメリカ合衆国国内の世論は急速に先鋭化・超国家主義化したと言われ、ネオコン新保守主義)勢力が政治の舞台に全面的に登場。その影響力を増大させた引き金ともなった。その後、アメリカ合衆国によるテロ支援国家への攻撃には国民の大半が賛同した。議会でも野党民主党共和党タカ派路線を容認する動きが目立った。事件直後、ブッシュ政権が9・11へのイラクの関与をほのめかし、過剰なマスコミ報道によりそれが増幅された為国民の間にイラクサダム・フセインに対する敵愾心が増大し、2年後のイラク戦争の呼び水となったと言われる。その後、独立調査委員会の調査でイラクの関与がハッキリと否定され、ブッシュ大統領自身もそれを認めたにも関わらず、2005年3月の世論調査では、米国民の約60%が「イラクアルカイダを支援していたと思う」と答えている。

一方、他の国ではアメリカ合衆国の方針に対して世論が二つに割れた。

親米的な意見(アメリカ合衆国の主張)としては、これを基に世界中の独裁国家民主化をすすめるべきだという意見などがある。特にブッシュ大統領悪の枢軸としたイラク・イラン・北朝鮮などで非民主的体制が猛威を奮っているとされる状況で、これを解決するべきだとの声もある。その後のアメリカ合衆国の対応を見ると、イラクやイランに対しては強硬姿勢に出るものの、北朝鮮リビアサウジアラビアに対しては様々な事情(アメリカの同盟国への軍事的影響力、石油利権など)から強硬姿勢を持たないなど、二重基準と批判する対応が目立つ。

反米リベラル的な意見としては、「自由の国アメリカ」のシステムを国外に普及させることを使命とするネオコン勢力の拡大は、政府の好戦的姿勢に反対する意見を言えない雰囲気を作り出しているとする声もあり、リバタリアニズムなど反ネオコン陣営からの反発も高まっている上に、アメリカ合衆国国内でさえ破綻しかけているアメリカ合衆国的価値観・システムの押し売りであると言う反発が多い。

またこの事件をきっかけに、アメリカ合衆国は国連協調をなくして一国独走主義の時代になったり、冷戦時代の米ソ対立の構図の残滓も消え、世界の軸は突出した超大国一国によって動かされる(ジョン・ボルトンの国連軽視発言)時代になったとする意見もあり、これを「アメリカ帝国」と表現するアントニオ・ネグリマイケル・ハートのような思想家などもいる。

なお軍事的には、戦争をこれまでの国家レベルの紛争から、ある結びつきによる国なき民間軍事組織と国家との紛争という新たな形として、提示されたことに意義がある。

アフガニスタン人道援助 [編集]
事件後のアフガニスタン攻撃に伴う対アフガニスタン人道援助・資金援助は、アフガニスタンとの国交を唯一保ったパキスタンが窓口となった。アフガニスタン向け援助は、その10-80%がアフガニスタンに届く前にパキスタンにおいて横流しされ、イスラム原理主義者を勢いづかせたのではないか、という意見もある。

政権交代 [編集]
なお、事件後にアメリカ合衆国を中心に行われたイラクへの侵攻に同調し派兵を行ったイギリスやスペインでは、この派兵に反対するイスラム過激派と見られる集団による一般市民を狙ったテロ事件が発生し、多くの人命が失われた。また、アメリカ合衆国主導で行われたイラク侵攻に同調し派兵することに対して、上記のようにこれらの国の内部で国民の意見が二分した。

その結果スペインでは、2004年3月のマドリードにおける列車爆破テロ事件後に行われた選挙で、アメリカ合衆国への支持と派兵を決定したホセ・マリア・アスナール首相率いる国民党が敗退し、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ率いるスペイン社会労働党に政権が交代した。

同じくアメリカ合衆国への支持と派兵を打ち出して以降人気が急落していたイギリスのトニー・ブレア首相が任期途中で退陣することを発表するなど、アメリカ合衆国への支持と派兵はこれらの国における政権交代のきっかけを作ることとなった。

金融市場 [編集]
事件が起きた時刻はアメリカ合衆国での取引が始まる前で、多くの金融機関が入居する貿易センタービルで起きた事件ということもあり、その日のアメリカ合衆国国内の取引は中止。翌週の17日(月曜日)に再開するまで、取引所や金融機関は修復作業に追われた。9月10日の終値が9,605.51ドルだったNYダウは、取引が再開された17日には取引時間中に8,883.4ドルまで下落する事になり、9月10日に121円を付けていた円ドルのレートも、翌日には118.5円まで値を落とした。なお、1機目の衝突直後から南側ビルの崩壊までの間だけでNYダウは100ドル以上下落していた。

一方、取引中だったヨーロッパではCNNやCNBCを通じて事態が明らかになるとすべての取引所で株価の全面安が起きる。明くる12日の東京市場日経平均株価は680円以上の下落となった。これは一部で「9・11ショック」とも報道されていた。その後多くの国においては株価の低迷が暫くの間続くこととなる。

航空業界 [編集]

ポートランド国際空港の身体検査場このテロが航空機を用いたものであったことや、シティグループオムニコム・グループをはじめとするアメリカを中心とした大企業が緊急なものを除く外国出張の禁止を命じたことなどから、事件後は航空需要が一時的に激減し、世界中の航空会社が大きな打撃を受けることとなった。

テロの標的となったアメリカン航空ユナイテッド航空をはじめとするアメリカの大手航空会社も赤字に転落したほか(ユナイテッド航空ノースウエスト航空デルタ航空は連邦倒産法第11章の適用申請にまで追い込まれた)、サベナ・ベルギー航空やスイス航空のような一国を代表するフラッグ・キャリアと呼ばれた会社をはじめとする多くの航空会社が経営破たんした。

また、以前より空港や機内での保安体制が強化され、搭乗客への身体検査や手荷物の検査が厳重化されたほか、操縦室のドアなども強化された。

陰謀説と都市伝説 [編集]
陰謀説 [編集]
この事件は当初、「アルカーイダが引き起こした自爆テロである」と結論付けたアメリカ合衆国政府の見解の中における、保安上の問題から未公開とされた点や不明瞭な部分、矛盾点への指摘後に見解が変更された点などに対し、様々な「陰謀論」を支持する立場のジャーナリストや研究者による様々な著作が発刊された。

この様な動きに対して、アメリカの報道機関においても「アメリカ合衆国国内で『陰謀説』が再燃の兆し」と報じられたこともあり[8]、またアメリカ国外でも日本、韓国、欧州などでこれらの説を紹介するテレビ番組が放送されたことがある。

詳細は「アメリカ同時多発テロ事件陰謀説」を参照

都市伝説 [編集]
この記事には「独自研究」に基づいた記述が含まれているおそれがあります。これを解消するためにある情報の根拠だけではなく、信頼可能な解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

他の大事件・大惨事と同様、この事件についても陰謀説と併せていくつかの都市伝説が生まれている。

「爆発の映像を写した写真にUFOのような物体が写っている」というもの。事件を宇宙人と結びつける主張まである。
アメリカドル紙幣(1ドル以外)を折ると、紙幣の絵(ホワイトハウスと樹木)が世界貿易センタービルの炎上(5、10ドル)、崩壊(20、50ドル)、崩壊後の様子(100ドル)に見える」。また、「20ドル紙幣を蛇腹折りにしてみると「OSAMA」の文字が浮かび上がるが、これは首謀者オサマ・ビンラディンの名前である」というもの。うまくドル紙幣を折れば実際にそのように見えることは確認されている(ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会の検証)のだが、紙幣のデザインは世界貿易センタービルが建築される以前から変わっていないのだから、この事件はずっと前から予期されていたのではないか、20ドルに首謀者の名前が隠されているのは「9 + 11 = 20」だからだ、といった説も存在している。
「事件当日、WTCで働いていた4000人のユダヤ人全員が仕事を休んでいた」とされる噂があり、それに言及したタレントがいるとされる。また同様の指摘を元NHK解説委員の長谷川浩が番組内で行っているが、長谷川氏はその5日後に転落死を遂げている。これに付随して「当時長谷川氏は世界貿易センターで犠牲になった人々を国籍別に調べる過程でアメリカとイスラエル二重国籍を持つユダヤ人が死亡していない事に気付いた」と言う主張もあるが、これを証明する事実、根拠はない。
「このテロは事前に予言されていた」というもの。
ノストラダムス予言集のいくつかの詩篇で予言されていたとするもの(どの詩篇と結び付けるかは論者によって異なる)」。また、インターネット上では捏造された詩篇も複数出回った[9]。
「複数の小説や映画にこのテロやアフガン・イラク戦争を予言する内容が含まれている」とする説もある。特に、「ハイジャックした旅客機による自爆テロ」という題材を扱ったトム・クランシーの「日米開戦」(en:Debt of Honor)、「合衆国崩壊」(en:Executive Orders) はテロ直後からその類似性がマスコミなどで取り上げられていた。
オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯、ティモシー・マクベイは死刑執行前、「近いうちにアメリカ合衆国は災いに見舞われるだろう」と言い残し、2001年6月11日に処刑された。丁度死後3ヶ月の2001年9月11日にテロが発生し、一部から「マクベイはテロを予見していたのか」とも言われている。また関係者の一部から「マクベイの祟りか」と騒がれた。その理由は、アラビア数字の「6」(6月11日の)をひっくり返せば「9」(9月11日の)になるからだと言われたが、丁度3ヶ月後ということと併せその意味は不明である。
世界貿易センタービルの住所である「Q33NY」をウィンドウズのフォント「Wingdings」で絵文字化すると飛行機とその先に二つのビル、そして死を象徴するドクロ、ユダヤの象徴であるダビデの星が浮かび上がる」とする噂[10] 。事件当時、チェーンメールなどでインターネットを通じ広がった。実際には、ビルとされる形は書類を示す絵文字である。そもそも「Q33NY」は世界貿易センタービルの住所ではない。「N」のドクロと「Q」の飛行機、「3」の書類を見て誰かが考案した説だと思われる。ビルの住所のかわりに、ハイジャックされた飛行機の便名やバス停の名前とするバージョンもある。[3]
関連資料 [編集]
報告書 [編集]
National Commission on Terrorist Attacks (2004). The 9/11 Commission Report: Final Report of the National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States ; W. W. Norton & Company. ISBN 0-393-32671-3.
同時多発テロに関する独立調査委員会 『9/11委員会レポート ダイジェスト 同時多発テロに関する独立調査委員会報告書、その衝撃の事実』 WAVE出版、2008年。ISBN 4-87290-326-9.
American Society of Civil Engineers (2003). The Pentagon Building Performance Report, January 2003; American Society of Civil Engineers. ISBN 0-7844-0638-3.
Therese McAllister (Editor), Federal Emergency Management Agency (U.S.) (Producer), Federal Insurance and Mitigation Administration (U.S.) (Producer) (2002). World Trade Center Building Performance Study: Data Collection, Preliminary Observations, and Recommendations; Federal Emergency Management Agency(United States Government Printing). ISBN 0-16-067389-5.
関連書籍 [編集]
グラウンド・ゼロがくれた希望」 堤未果(つつみ・みか)著 ポプラ社 ISBN 4-591-08141-9 (日本語)
「9・11ジェネレーション ―米国留学中の女子高生が学んだ『戦争』」 岡崎玲子集英社新書 ISBN 4-08-720233-X(日本語)
脚注 [編集]
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^ これら実際に被害をもたらした事件以外にも、多くの計画が予定されていたとされる。
^ NHKテレビの50年 21st - 当時のその模様を伝えた画像が3枚掲載されている。
^ 昭和天皇が死去した1989年1月7日早朝から1月9日未明までと、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際にも、NHKや民放各局は通常番組やCMを全面休止した例がある。日本の放送メディアで海外の重大事件を終夜放送したのは1991年1月17日に勃発した湾岸戦争多国籍軍による空爆開始)以来の出来事であった。
^ 国際政治学・安全保障政策の研究者である宮坂直史は著書(『日本はテロを防げるか』ちくま新書)の中で、テロは複数箇所で同時に行われることが多いことから「アメリ同時多発テロ」を固有名詞として用いることには違和感を覚える、と指摘している。
^ CNN.co.jp:除隊希望もかなわず、同時テロ後に差別か 陸軍基地の銃乱射
^ NFL、第2週の見送りを決定 NFL JAPAN HP
^ 小向宣生 "教化情報第12号「米国宗教事情『9.11テロとイスラム教と人種差別』」" 日蓮宗 東京西部教化センター、2009年9月14日閲覧。
^ [1] (CNN)
^ 誰がどの詩と結び付けたか、また、どのような偽作が出回ったかについては Hayato Takubo「米国旅客機同時ハイジャックによる無差別大量殺人とノストラダムスの予言」(サイト「ノストラダムス研究室」内)を参照のこと。
^ 9.11 plane crash(YouTube動画)
関連項目 [編集]
ウィキメディア・コモンズには、アメリカ同時多発テロ事件に関連するマルチメディアがあります。世界貿易センタービル爆破事件
テロリズム
アフマド・シャー・マスード
アイマン・ザワヒリ
ターリバーン
対テロ戦争
アフガニスタン紛争 (2001年-)
イラク戦争
アメリカ帝国
アメリカ新世紀プロジェクト (PNAC)
ボジンカ計画
マーシャル・ロー
グアンタナモ米軍基地
連邦航空保安局
チリ・クーデター(1973年の「9・11」)
真珠湾攻撃(60年前の1941年に発生)
[表示]表・話・編・歴対テロ戦争

軍事衝突 不朽の自由作戦 アフガンにおける不朽の自由作戦 - フィリピンにおける不朽の自由作戦 - アフリカの角における不朽の自由作戦 - トランス・サハラにおける不朽の自由作戦

その他 イラク戦争 - ワジリスタン紛争 - タイ南部紛争 - レバノン侵攻


テロ攻撃 2001年 - 2004年 アメリカ同時多発テロ事件 - バリ島爆弾テロ事件 (1) - スペイン列車爆破事件

2005年 - 2008年 ロンドン同時爆破事件 - バリ島爆弾テロ事件 (2) - ムンバイ列車爆破事件 - パキスタン・モスク立てこもり事件 - ムンバイ同時多発テロ


作戦の参加者 アフガニスタン侵攻 アフガニスタン - 北部同盟 - ISAF

イラク戦争 有志連合 - イラク

ワジリスタン紛争 パキスタン - アメリカ合衆国

レバノン侵攻 イスラエル


作戦の標的 アルカーイダ - イラクの聖戦アルカーイダ組織 - アブ・サヤフ - ヒズボラ - ハマス - イスラム法廷会議 - ジェマ・イスラミア - ターリバーン - ムスリム同胞団 - イスラム集団 - パタニ連合解放組織 - クルディスタン労働者党 - ラシュカレトイバ - 世界イスラーム戦線

関連項目 アブグレイブ刑務所 - グァンタナモ米軍基地 - 悪の枢軸 - 米国愛国者法 - テロ支援国家 - ブッシュ・ドクトリン - イスラーム過激派 - グルジア訓練・装備支援計画 - グルジア維持安定作戦支援計画 - 海上阻止行動 - 海上治安活動

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最終更新 2010年3月15日 (月) 12:15