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行基

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行基
668年 - 749年

有馬にある銅像
尊称 行基菩薩
生地 河内国
宗派 法相宗
師 道昭
仏教

基本教義
縁起 四諦 八正道
三法印 四法印
諸行無常 諸法無我
涅槃寂静 一切皆苦
人物
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表・話・編・歴
行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日))は日本の奈良時代の僧である。677年4月に生まれたという説もある。父は百済系渡来氏族の末裔西文氏(かわちのあやし)一族の高志才智とされる。母は河内国(のち和泉国大鳥郡の蜂田首(現在の華林寺)の出。

目次 [非表示]
1 出自
2 生涯
3 行基に縁の有る地
3.1 行基開基の寺院と比定地
3.2 行基による開湯伝説がある温泉
3.3 行基が掘削指導した貯水池
3.4 摂播五泊
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク

出自 [編集]
高志氏はもと越氏(越史)と称し本貫は越後国であったが、高志才智は和泉国に移住した一族であるという[1]。越氏は百済国から来朝した漢系渡来人王仁の子孫である西文氏の一族とされる[1]が、行基の出自を百済系渡来人の子孫[2]、特に百済王家の子孫とする文献[3]もある。

生涯 [編集]
河内国大鳥郡(現在の大阪府堺市)に生まれる。681年に出家、官大寺法相宗などの教学を学び、集団を形成して関西地方を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動した。704年に生家を家原寺としてそこに居住した。その師とされる道昭は、入唐して玄奘の教えをうけたことで有名である。

民衆を煽動する人物であり寺外の活動が僧尼令に違反するとし、養老元年4月23日詔をもって糾弾されて弾圧を受けた。だが、行基の指導により墾田開発や社会事業が進展したこと、地方豪族や民衆らを中心とした教団の拡大を抑えきれなかったこと、行基の活動が政府が恐れていた「反政府」的な意図を有したものではないことから、731年(天平3年)弾圧を緩め、翌年河内国の狭山下池の築造に行基の技術力や農民動員の力量を利用した。736年(天平8年)に、インド出身の僧菩提僊那チャンパ王国出身の僧仏哲・唐の僧道璿とともに来日した。彼らは、九州の大宰府に赴き、行基に迎えられて平城京に入京し大安寺に住し、時服を与えらている。

民衆のために活躍した行基は740年(天平12年)から大仏建立に協力する。このため「行基転向論」(民衆のため活動した行基が朝廷側の僧侶になったとする説)があるが、一般的には権力側が行基の民衆に対する影響力を利用したのであり、行基が権力者の側についたのではないと考えられている。741年(天平13年)3月に聖武天皇恭仁京郊外の泉橋院で行基と会見し、同15年東大寺の大仏造造営の勧進に起用されている。勧進の効果は大きく、745年(天平17年)に朝廷より日本最初の大僧正の位を贈られた。

行基の活動と国家からの弾圧に関しては、奈良時代において具体的な僧尼令違反を理由に処分されたのは行基のみと言われている。そのため、それぞれに対して、同時代の中国で席捲していた三階教教団の活動と唐朝の弾圧との関連や影響関係が指摘されている。

行基は古式の日本地図である行基図を作成したとされ、日本全国を歩き回り、橋を作ったり用水路などの治水工事を行ったとされる。

三世一身法が施行されると灌漑事業などをはじめ、前述の東大寺大仏造立にも関わっている。大仏造営中の749年(天平21年)、菅原寺で81歳で入滅し、生駒市の往生院で火葬後竹林寺に遺骨が奉納された。また、菅原寺から往生院までの道則を行基の弟子が彼の腰をかついで運搬したことから、往生院周辺の墓地地帯は別名、輿山とも呼ばれている。また、朝廷より菩薩の称号が下され、行基菩薩と言われる。なお、行基が迎えた菩提僊那は、752年、聖武天皇(749年に退位し当時は、太上天皇)の命により、東大寺大仏開眼供養の導師を勤めた。

行基に縁の有る地 [編集]

家原寺にある銅像行基畿内を中心とした各地で布教活動を行っていたことから、近畿地方を中心として各地に縁の地とされる土地が存在している。

生家跡は知恵の文殊菩薩を本尊とすることから合格祈願で有名な家原寺となっている。

大阪府高石市高師浜3丁目付近で生まれたと言う説もあり、「行基生誕の地」の石碑が建てられている。その石碑には、「行基に連なる大工集団が千歯扱きを考案した、その大工集団は徳川末期まで京都御所の御用大工となった、高度な大工技術を駆使して高石地区の住宅建設を請け負っていた」と刻まれている。なお、これらの功績により、この付近が「匠」と呼ばれており、行基生誕伝承のある地に建てられた自治会館が「匠会館(八区会館)」と呼ばれている。

近鉄奈良駅の入口前には陶製(赤膚焼)の行基の像があり、奈良ではよく知られた待ち合わせ場所になっている。

大阪府岸和田市の祭礼だんじり祭りでは、行基が開山した龍臥山隆池院久米田寺に周辺地区のだんじりが集結する。これは、久米田寺の前に位置する久米田池を行基が掘削指導し、田畑の開墾や周辺住民の生活向上へ寄与し、その他の遺徳を顕彰する「行基参り」と呼ばれている。

兵庫県伊丹市昆陽池公園の園内施設には行基の偉業や胸像が設置されている。昆陽池の南南東1キロほどの場所に行基の開基した昆陽寺がある。市内には行基町(ぎょうぎちょう)という地名がある(伊丹市ウェブサイト 名僧・行基)。

行基開基の寺院と比定地 [編集]
大修恵院高蔵(大阪府堺市南区高倉台
枚方院(大阪府堺市南区高倉台
檜尾池院(大阪府堺市南区檜尾)
大庭院(大阪府堺市南区大庭寺)
家原寺 (大阪府堺市西区家原寺町)



龍王寺(雪野寺)(滋賀県蒲生郡竜王町川守41)
神鳳寺(大阪府堺市西区鳳北町)
鶴田池院(大阪府堺市西区草部)
大野寺、大野尼院(大阪府堺市中区土塔町)
深井尼院香琳寺(大阪府堺市中区深井)
清浄土院(大阪府堺市堺区湊、大阪府高石市
萩原寺大阪府堺市東区日置荘原寺町、萩原神社の神宮寺としてかつて存在した)
愛染院 (大阪府堺市北区蔵前町1578)
善言院川堀、善言尼院(大阪府大阪市西成区
難波度院、枚松院、作蓋部院(大阪府大阪市西成区
沙田院(大阪府大阪市住吉区
呉坂院(大阪府大阪市住吉区長狭町)
高瀬橋院、高瀬橋尼院(大阪府大阪市東淀川区
大福院御津、大福尼院(大阪府大阪市中央区御津寺町)



久修園院山崎(大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目)
薦田院(大阪府枚方市伊賀)
報恩院(大阪府枚方市樟葉)
狭山池院、狭山池尼院(大阪府大阪狭山市
極楽寺大阪府泉大津市昭和町6番地付近)
石凝院(大阪府東大阪市日下町)
清浄土尼院(大阪府高石市
林昌寺 (大阪府泉南市信達岡中395)
山崎院(大阪府三島郡島本町
龍臥山隆池院久米田寺 (大阪府岸和田市池尻町)
恩光寺(奈良県
生馬仙房(奈良県生駒市有里町)
隆福院、隆福尼院(奈良県奈良市和田町
菅原寺善光寺奈良県奈良市菅原町)
頭陀院菩提、頭陀尼院(奈良県大和郡山市矢田町)
長岡院(奈良県奈良市疋田町)
法禅院檜尾(京都府京都市伏見区深草
河原院(京都府京都市
大井院(京都府京都市右京区
吉田院(京都府京都市左京区吉田神楽岡町)
菩提寺泉橋院(京都府相楽郡山城町上狛村)
泉福院、布施院、布施尼院(京都府京都市伏見区
極楽寺 (滋賀県彦根市極楽寺町)
円通寺(愛知県大府市共和町)
岩屋観音(愛知県豊橋市大岩町)
東観音寺(愛知県豊橋市松原町
普門寺(愛知県豊橋市雲谷(うのや)町)
船息院船、船息尼院(兵庫県神戸市兵庫区
瑠璃寺(兵庫県佐用町)
揚津院(兵庫県川辺郡猪名川町
昆陽施院 (兵庫県伊丹市寺本)
大聖寺岡山県美作市大聖寺

注・この他にも日本全国には、行基を開基とする寺院が数多くある。ただし、これらの中には開基伝説を作った際に名前が使われただけのもの数多く含まれると推測される。

行基による開湯伝説がある温泉 [編集]
日本全国には、行基が発見したとされる温泉が数多くある。ただし、これらの中には開湯伝説を作った際に名前が使われただけのものもあるとされる。

作並温泉
東山温泉
芦ノ牧温泉
草津温泉
藪塚温泉
野沢温泉
渋温泉
湯田中温泉
山代温泉
山中温泉
吉奈温泉
谷津温泉
蓮台寺温泉
三谷温泉
木津温泉
関金温泉
塩江温泉
鹿教湯温泉

他にも、仁西、豊臣秀吉らとともに「有馬の三恩人」と語り継がれている有馬温泉湯河原温泉などにも行基にまつわる伝承が残っている。

行基が掘削指導した貯水池 [編集]
昆陽池昆陽池公園内)(兵庫県伊丹市
久米田池(大阪府岸和田市) - 龍臥山隆池院久米田寺と隣接する
狭山池(大阪府大阪狭山市) - 日本最古のダム式貯水池を改修
摂播五泊 [編集]
摂津から播磨にかけて、五つの港を整備したとされている。

河尻泊 - 尼崎市神崎町
大輪田泊 - 神戸市兵庫区神戸港
魚住泊 - 明石市魚住町
韓泊 - 姫路市的形町
室生泊 - たつの市御津町室津
関連項目 [編集]
思想家一覧
行基
千田稔 『天平の僧 行基 異能僧をめぐる土地と人々』中公新書がある。1994年 品切
脚注 [編集]
^ a b 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年
^ 『明匠略伝』
^ 『元亨釈書
外部リンク [編集]
郷土たかいし 行基について
行基北河内古代人物誌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA」より作成
カテゴリ: 日本の僧 | 飛鳥時代の人物 | 奈良時代の人物 | 東大寺 | 668年生 | 749年没


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最終更新 2010年2月23日 (火) 17:52