[群馬県立前橋高等学校]=[過去の名称] 第十七番中学利根川学校  上毛電鉄片貝駅より徒歩3分

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群馬県立前橋高等学校]



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群馬県立前橋高等学校
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[過去の名称] 第十七番中学利根川学校
群馬県中学校
群馬県尋常中学校
群馬県前橋中学校
群馬県立前橋中学校
群馬県立前橋高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 群馬県
校訓 「質実剛健」・「気宇雄大
設立年月日 1877年
共学・別学 男女別学
(男子校)
課程 全日制課程
設置学科 普通科
高校コード 10101A
所在地 〒371-0011
群馬県前橋市下沖町321-1
北緯36度23分50秒東経139度5分45.1秒
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
表・話・編・歴
群馬県立前橋高等学校(ぐんまけんりつまえばしこうとうがっこう)は、群馬県前橋市下沖町に所在する公立高等学校。男子校。

目次 [非表示]
1 概要
2 交通アクセス
3 沿革
3.1 略歴
3.2 年表
4 部活動
5 学習
6 行事
7 施設
7.1 記念館
7.2 蛟龍館
8 校章と校歌・応援歌と凱旋歌
9 文化財
10 著名な出身者
11 関連項目
12 外部リンク

概要 [編集]
正式名称は「群馬県立前橋高等学校」。通称は「前高(マエタカ)」。1877年(明治10年)の開校で、3万有余名の卒業生を輩出している。校訓は「質実剛健」「気宇雄大」。現在は1学年8クラス(1クラス約40名)で、3学年で24クラス、約960名の生徒(男子のみ)と、約60人の職員(他に非常勤講師、学校医等)から成る。

交通アクセス [編集]
上毛電鉄片貝駅より徒歩3分

沿革 [編集]
略歴 [編集]
群馬県立前橋高等学校は、1877年(明治10年)9月、前橋市曲輪町の旧前橋城内に設立された公立の第17番中学利根川学校をルーツとする。その後、1879年(明治12年)6月に利根川学校を閉鎖し師範学校内に群馬県中学校を開設する。その後さらに名称、設置場所などの幾多の変遷を経て、1901年(明治34年)4月に群馬県立前橋中学校となる。その当時は、校舎は東群馬郡紅雲町分村(現在の前橋市紅雲町)に所在していた。1912年(明治45年)には、生徒定員は600名であった。1934年(昭和9年)8月には、昭和天皇行幸に合わせて校舎を前橋市天川原町(現在は文京町)に新築・移転する。1939年(昭和14年)には、生徒定員1,000名となった。

1948年(昭和23年)、学制改革によって、群馬県立前橋中学校は群馬県立前橋高等学校と改称、改編。4年後の1952年(昭和27年)、失火により、校内建築物は講堂と体育館を除いて全焼したが、まもなく再建された。当時の校舎復興に尽力した生徒の母親達の組織が、「前橋高校母の会」として残り、PTAとは別に現在も活動中である。

子供の数の増加に伴って、定員も1956年(昭和31年)には1,200人、1964年(昭和39年)には1,350人と増加していった。1979年(昭和54年)、校舎を前橋市下沖町に移転する。この際、生徒達が前橋高校の校旗を先頭として、自分の使う机を担ぎながら、文京町から下沖町までの数キロを移動した話は、その世代の同窓生達の間の思い出話となっている[要出典]。現在、1学年8クラス、合計約960名在籍。

年表 [編集]
1877年9月 前橋市曲輪町に、第17番中学利根川学校が設立される。
1879年6月 利根川学校を閉鎖し師範学校内に群馬県中学校を開設する。
1880年1月26日 開校式。
1880年12月 旧利根川学校校舎に戻る。
1882年4月 旧前橋城内から南勢多郡小暮村に移転。
1886年2月 群馬県会が中学校予算支出を否決、有志の寄付と授業料で運営される。
1886年9月 中学校令発布により、群馬県尋常中学校となる。
1887年11月 東群馬郡紅雲町に新築移転。
1890年 中学校予算全額が地方税支出に戻る。
1897年3月 群馬、甘楽、碓井、利根、新田、多野の6分校が置かれる。
1899年4月 群馬県中学校となる。
1900年4月 高崎(群馬)、富岡(甘楽)、太田(新田)の3分校独立に伴い、本校を群馬県前橋中学校とする。
1901年4月 群馬県立前橋中学校となる。安中(碓井)、藤岡(多野)の2分校独立。
1912年4月 沼田(利根)分校独立。
1933年8月 前橋市天川原町(現・文京町)に新築移転。
1948年4月 学制改革に伴い、群馬県立前橋高等学校となる。
1948年10月 定時制課程開設。
1952年12月22日 失火により講堂、体育館を除いて校舎が全焼する。
1969年3月 定時制課程廃止。
1979年6月9日 前橋市下沖町に新築移転。
部活動 [編集]
前橋高校では部活動が非常に盛んである。2002年春の硬式野球部の甲子園(センバツ)出場をはじめとして、サッカー部、剣道部、卓球部、陸上部、軟式野球部ラグビー部、バレーボール部、弓道部、山岳部などが県内で好成績を挙げており、群馬県高校総体の総合成績では、2007年度の総合成績2位を筆頭に、ここ数年は総合成績で3位以内にランクインしている。また、全国大会に出場する部も毎年いくつもある。

また1978年春のセンバツ出場時には、対比叡山高校戦において松本稔投手が完全試合を達成(春夏を通じ甲子園大会史上初)。このことは高校野球ファンのみならず全国的に有名であり、『四番、ピッチャー、背番号1』(横尾弘一著)では、松本投手のその後の歩みが取り上げられている。なお、松本稔は2007年度まで前橋高校で体育教師・野球部監督を勤め、前述のとおり本校を24年ぶりの甲子園に導いた(2008年度より群馬県立中央中等教育学校に異動)。

また、文化部の活動も盛んで、吹奏楽部、全国の高校でも数少ない男声合唱に取り組んでいる音楽部、百人一首かるた部、書道部、美術部、演劇部、マンドリンに親しんでいたことで知られるOBの萩原朔太郎にちなんで結成された歴史を持つギター・マンドリン部、平成20年4月にNHKBS-2の番組「にっぽん熱中クラブ」の第1回で紹介された大道芸部(収録当時は大道芸同好会であったが、後に部に昇格)も実績を上げている。

学習 [編集]
1学年では、芸術(音楽・美術・書道から一つを選択)、格技(剣道・柔道から一つを選択)の選択の他は、全員が同じ教科・科目を履修する。2学年では文系と理系に分かれ、文系では理科で生物か化学の中いずれか一つを選択する他は、全員が同じ教科・科目を履修する。理系では理科において、化学を全員が履修するほか、物理か生物のいずれか一つを選択、及び地歴科において日本史か地理のいずれか一つを選択する。3学年では、文系では地歴科において、日本史または世界史6単位のいずれか一方または日本史3単位+世界史3単位(主として東京大学及び京都大学志望者向け)の3種類の中から一つを選択する。(他にも選択科目はある。)理系では2学年と同じ教科を基本的に選択するが、地歴科において、日本史及び地理の代わりに世界史を選択する者が例年数名おり、授業が開講されている。(なお、選択科目に関しての詳しいことは、前橋高校のHPを参照のこと。)この他、総合的な学習の時間もあり、1・2学年では、年間を通じて研究や調査を深め、研修旅行などの成果もふまえて、年度末に論文をまとめ、優秀な論文は論文発表会で発表されるとともに、論文集としてまとめられる。3学年では小論文執筆のための様々な学習を行う。各学年とも、自分の進路に密接に関わる調査・研究を通して学習を進めるのが特徴である。

授業は1年次から大学受験を明確に意識したものとなっている。そのため授業(65分×5コマ)の進度は速くハイレベルであり、定期試験の難易度は高い。宿題も数学などを中心にほとんど毎日課されており、週末にも週末課題と称して多くの課題が課されている。始業前や放課後には補習も行われている。さらに隔週土曜日には、土曜登校学習と称して午前中3時間の補習が行われている。夏期休業中にも、1期、2期(3年生のみ)、3期にわたってそれぞれ5日間ずつ補習が行われる。冬季休業中、春季休業中にも、1,2年生対象にそれぞれ5日間の補習が行われる。なお、夏期休業中には、志賀高原方面において学習合宿が実施され(3年生が6泊7日、1, 2年生が合同で4泊5日)、多くの生徒が参加し、1日10時間以上の学習に取り組んでいる。また、冬季休業中を中心に、冬季集中学習会と称する自学自習を行う行事が3年生において行われ、毎年多数の3年生が受験直前の実力養成に励んでいる。

行事 [編集]
前橋高校における特徴的な行事としては、2年に1度開催される文化祭である蛟龍(こうりょう)祭と、高崎高校との対抗スポーツ大会で、毎年9月下旬〜10月上旬に行われる定期戦、音楽三部による定期公演・優曇華うどんげ)が挙げられる。他に、校内競技大会、研修旅行、遠足、OB講演会なども開催されている。

蛟龍祭 : 文化祭である。文化部や各クラスの主催による展示や、実行委員会が主催するのど自慢大会、ミス・マエタカコンテスト(女装コンテスト)、前橋市内の商店街を練り歩く仮装行列、模擬店、招待試合などが2日間にわたって行われ、近隣の他校の生徒や地域住民が多数訪れる。蛟龍祭の名は後述の凱旋歌の歌詞に由来する。
定期戦 : 高崎高校の生徒とさまざまなスポーツ種目の対抗戦を行い、その雌雄を決するもので、その始まりは戦後間もない頃まで遡る。両校の生徒達がしばしば利根川の両岸に対峙して石投げをしていたのを、もっと平和的な対決方法を模索する中で始まったものであるという説が有力である。例年両校の生徒がどちらか一方の高校に集まって開催され、ホーム・アウェーは一年ごとに交代する。競技は両校共に部活動として存在する種目の各部に所属する者同士による部対抗(硬式野球軟式野球、陸上、バスケットボール、バレーボール、柔道、剣道、サッカー、ラグビー、テニス、ソフトテニス、空手道、卓球、弓道)とそれ以外の生徒が出場する一般対抗(水泳、駅伝、陸上、テニス、バレーボール、バスケットボール、卓球、ソフトボール、玉入れ、綱引き、長縄跳び)とがある。中でも綱引きは定期戦の目玉種目となっている。勝敗は両校の一般対抗と部対抗の総合得点によって決定する。
優曇華 : 毎年7月中旬〜下旬に前橋市民文化会館大ホールにて行われる吹奏楽部、ギター・マンドリン部、音楽部の3部による合同コンサート。優曇華とは3000年に一度花を咲かせると言われる想像上の花の名前であり、後述の応援歌の歌詞に由来する。
校内競技大会 :1学期の期末テスト後と、3学期の学年末テスト後に行われる、クラス対抗による競技大会である。1学期末は夏季大会として、水泳、駅伝、バスケットボール、バレーボール、卓球、綱引き、玉入れ、ソフトテニス陸上競技が行われる。この競技大会は、秋に行われる高崎高校との定期戦の選手選考も兼ねている。3学期末は春季大会として、サッカー、ソフトボール、バドミントン、柔道・剣道(1年生のみのオープン種目)等の種目が、1, 2年生において行われる。成績は夏季大会のものと合算して決定される。
研修旅行 : 2006年(平成18年)度から修学旅行が実施されなくなり、その代替として東京方面にて1泊2日で実施された。旅行の内容は、大学の模擬授業の受講や、企業・研究所・博物館等を見学するものである。研