【石川遼】

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石川遼

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ハニカミ王子は、この項目へ転送されています。韓国人俳優でハニカミ王子と呼ばれるパク・ヨンハについては「パク・ヨンハ」をご覧ください。

石川 遼
Ryo Ishikawa

基本情報
出生国 日本
生年月日 1991年9月17日(18歳)
出身地 埼玉県北葛飾郡松伏町
身長 174.0cm
体重 68.5kg
血液型 O型
利き手 右
経歴 杉並学院高等学校卒業
プロ転向 2008年
成績
優勝回数 日本男子:7回
初優勝 マンシングウェアOP (2007)
ベストスコア 58 (中日クラウンズ4R (2010))
世界ランク最高位 29位(2009年12月5日)
賞金ランク最高位 日本男子:1位(2009年)
2010年5月2日現在
表・話・編・歴
石川 遼(いしかわ りょう、1991年9月17日 - )は、埼玉県北葛飾郡松伏町出身のプロゴルファー。パナソニック所属。ニックネームは「ハニカミ王子」「遼くん」。

若くして驚異的な結果を残し、数々の最年少記録を更新している。日本を代表するプロゴルファーである。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 幼少期
1.2 アマチュア時代
2 プロ転向
2.1 2008年
2.2 2009年
2.3 2010年
3 主な優勝
4 ギア
5 ハニカミ王子
6 チーム遼
7 石川フィーバーに伴う騒動・出来事
8 その他
9 CM
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク

経歴 [編集]
幼少期 [編集]
6歳の頃、父に連れられてゴルフ練習場に行ったのをきっかけに、ゴルフにのめりこむ。小学校時代は、サッカークラブ、園芸委員会に所属。中学校は、地元の松伏町松伏第二中学校に進学。中学にゴルフ部が無かったため、陸上部に所属した。理由は、短距離走で足の筋力と体力を付けるため。

マチュア時代 [編集]
2004年に、全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝。2005年関東中学校選手権、全国中学校選手権大会・春季大会を優勝するなど、全国規模の大会で常に上位を争うレベルにあった。

高校生となった2007年に行われた、マンシングウェアオープン KSBカップにアマチュア枠でツアー初出場。この大会に、日本のプロゴルフ大会においての史上最年少優勝を達成。男子ツアーでのアマチュア優勝は「中四国オープン」で優勝した1980年の倉本昌弘以来で、史上2人目[1]。大会初日が暴風のため中止となり、最終日に2ラウンドが行われた。高校生でありながら、36ホールを回っての逆転優勝(2日目終了時点で7打差の23位)であった。この優勝は、世界最年少優勝記録(15歳245日)として、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。

同年7月に行われた、世界ジュニア選手権に出場し、個人23位。8月17日、霞ヶ関CCで行われた日本ジュニアゴルフ選手権男子15歳〜17歳の部で、大会史上最年少の15歳11ヶ月で初優勝。スコアは、大会レコードタイとなる3日間通算9アンダーで204。直後のフジサンケイクラシックでは、2日目まで首位と3打差の6位だったが、3日目でスコアを落とし、結局3日間通算1オーバーの214で15位に終わるがローアマチュア(出場アマチュア選手最上位)を獲得。東海クラシック、三井住友VISA太平洋マスターズでもローアマチュアを獲得する。また、マンシングウェアオープンKSBカップでの優勝により、その年のツアー優勝者に出場資格のあるゴルフ日本シリーズJTカップに、アマチュアとして初めて出場した[2]。この年は、プロツアー8試合に参戦して5試合で予選を通過[3]、4試合でローアマチュアを獲得する活躍を見せた。

プロ転向 [編集]
2008年1月10日、記者会見を行いプロ転向を宣言。16歳3ヵ月24日の史上最年少のJGTOツアープロとなる。また、2009年末までシード権を保有していることから、同時に史上最年少のシード選手となった。JPGAのプロゴルファー資格は2008年4月1日に取得。

2008年1月25日にはヨネックスと5年間総額10億円の用具総合使用契約(ボール以外のクラブ、ウェアなど)を結んだ。ヨネックスと契約をしたのは、石川が10歳のとき実父とヨネックス本社に赴き、用具提供の支援の依頼をし、それをヨネックスが快諾したという関係からとされる。ヨネックスの他に、所属契約をパナソニックと、移動サポートをANA、サングラスを山本光学などとも契約した。その他、4月1日からトヨタと2年契約、コカ・コーラと5年契約、NTTドコモと3年契約、新学社と1年契約(2009年現在継続中)を交わした。

2008年 [編集]
プロデビューは2008年2月5日に行われたオーストラリアのシドニーで行われた全英オープン予選会で4オーバー(1日制、36ホール)の41位。国内ツアーデビューは2008年4月の東建ホームメイトカップで2日目、3日目に首位に立ったが、最終的に5位Tであった。その後は5戦連続予選落ちなどで低迷するが、長嶋茂雄Invitational セガサミーカップゴルフトーナメントで3位タイに入り復調の兆しを見せ、2008年8月21日から24日にかけて滋賀GCで行われた関西オープンでプロ転向後初優勝を挙げた[4]。この際、「僕のプロ初優勝に立ち会えた皆さんも幸せなんじゃないですか?」とはにかんだ。2008年11月2日のABC・GCにてマイナビABCチャンピオンシップで優勝し、プロ転向後ツアー初優勝、ツアー通算2勝目を飾ると共に2010年までのシード権も獲得した。

2008年度の獲得賞金は106,318,166円で賞金ランキング5位に入り、史上最年少で1億円を突破した。また、史上最年少での賞金シードとなった。この活躍により史上最年少での内閣総理大臣日本プロスポーツ大賞を受賞した。2008年シーズン終了後に行われたジャパンゴルフツアー選手会(JGTPO)において、JGPTO理事に選出された。

2009年 [編集]
4月9日から開催されたマスターズ・トーナメントに、2008年シーズン終了時の世界ランキング60位であったため自動的に出場権を得ることはできなかったものの、17歳での日本ツアーでの活躍が認められ、特別招待された。17歳6ヶ月でのマスターズ出場はアマチュア枠で出場したトミー・ジェイコブスの17歳1ヶ月に次ぐ史上2番目の年少記録[5]。プロゴルファーとしては史上最年少、日本人では戸田藤一郎の21歳を抜き史上最年少での出場。結果は73位で予選落ちとなった。

6月28日、よみうりCCで行われた全英への道 ミズノオープンよみうりクラシックで優勝、同時に7月の全英オープンの出場権を獲得し、日本人選手最年少での初出場を決めた。全英オープン選手権初日、石川遼は5バーディー、3ボギーの68、2アンダーの好スコアで回り、同組となった優勝候補のタイガー・ウッズのスコア71を上回ったが、2日目は後半に崩れトータル6オーバー85位。タイガー・ウッズと共に予選落ちした。

8月2日、小樽CCで行われたサン・クロレラクラシックにて通算17アンダーで優勝。初日から4日間首位を守りきる完全優勝。9月6日、富士桜CCで行われたフジサンケイクラシックにて通算12アンダーで優勝。この優勝で賞金ランクトップに躍り出た。

この勝利によってワールドゴルフランキングは自己最高の47位となり、17歳11ヶ月20日での史上最年少でのランキングトップ50入りを果たした。また、これが大きな要素となり、アメリカ合衆国代表と非米・非欧州地域代表で争われる団体戦・プレジデンツカップのインターナショナルチームに、キャプテン・グレッグ・ノーマンの推薦によって史上最年少で選出された[6]。

10月4日、三好CCで行われたコカ・コーラ東海クラシックにて通算14アンダーで優勝。2年連続で獲得賞金額1億円を突破した。

10月8日 - 11日、プレジデンツカップに出場し、最終日には当時世界6位のケニー・ペリーに勝つなど、3勝2敗と世界選抜ではアーニー・エルスと並ぶ最多の3ポイントを挙げる大活躍を見せた[7]。

12月6日、ゴルフ日本シリーズで3オーバー19位タイだったものの、年間獲得賞金額が1億8352万4051円で賞金王となった。これにより尾崎将司が1973年に26歳で達成した最年少賞金王記録を大幅に更新し、18歳80日とした。

12月7日、日本ゴルフツアー機構(JGTO)主催の2009年度 ジャパンゴルフツアー表彰式で、史上初の9冠(賞金王、最優秀選手賞、Unisysポイントランキング賞、平均ストローク賞、平均パット賞、バーディ率賞、ゴルフ記者賞、MIP賞、特別賞)に輝いた[8]。

12月20日、男子ゴルフの2009年度最終の世界ランキングが発表され30位となり、2010年マスターズ・トーナメント招待の条件を満たした。

2010年 [編集]
2月1日、SRIスポーツとゴルフボール使用契約を締結。

4月8日 - 9日、2回目のマスターズ出場も予選落ち。

5月2日、名古屋GC和合Cで行われた中日クラウンズにて最終日18位から通算13アンダーで逆転優勝。さらに、最終日は男子ツアータイ記録となる12バーディーを記録し、1ラウンド58は男子国内ツアー新記録で世界記録を達成した。また、日本男子ツアー史上最速(54試合目)かつ最年少(18歳7カ月)で生涯獲得賞金3億円を突破した。

主な優勝 [編集]
2007年 - マンシングウェアオープン
2008年 - ※関西オープン ・ ABCチャンピオンシップ
2009年 - ミズノオープンよみうりクラシック ・ サン・クロレラクラシック ・ フジサンケイクラシック ・ コカ・コーラ東海クラシック
2010年 - 中日クラウンズ
※ は日本ゴルフツアー外(後援競技)

ギア [編集]
2008年11月2日マイナビABCチャンピオンシップ当時

ドライバー
ヨネックス ニューナノブイ スペック450D
ウッド
ヨネックス ニューナノブイ フェアウェイウッド 3番
アイアン
ヨネックス ニューナノブイ プロトタイプ 2I
ヨネックス サイバースターフォージドCB 3I-PW
ウェッジ
ヨネックス プロトタイプ 52度
ヨネックス プロトタイプ 60度
パター
オデッセイ black series i 9
ボール
スリクソンZ-STARシリーズ(2010年2月1日付で契約)
ハニカミ王子 [編集]
マンシングウェアオープンKSBカップの優勝インタビューでの言動から「ハニカミ王子」というニックネームが付いたことがあった。ちなみにその名づけ親は、この大会のテレビ中継を実況し、彼の優勝インタビューの最中にふと彼を「ハニカミ王子」と呼んだ瀬戸内海放送(KSB)の多賀公人アナウンサーである[9]。まさに優勝した瞬間に生まれたニックネームであった。優勝記者会見で石川本人も「ハニカミ王子」のニックネームについてコメントした。

なお、優勝当日フジテレビジョン新報道プレミアAでは、サンバイザーをつけている姿から「サンバイザー王子」と呼んでいたが、まったく定着しなかったため翌週から「ハニカミ王子」と呼んでいた。この愛称が定着した理由としては、すでに定着していた野球選手斎藤佑樹の愛称「ハンカチ王子」と響きが似ていたことも挙げられる。2007年の活躍などが評価され、「ハニカミ王子」が2007年の流行語大賞に選ばれる。

プロに転向した2008年以降、石川目当てに主婦層が低迷している男子ゴルフのテレビ中継を見るようになり、視聴率が大幅に伸びた。

また、日本国外では「shy prince」などと訳されていた。現在では死語となり、遼くん、または賞金王などと紹介されている。

チーム遼 [編集]
2010年年明けより、タイのバンコク郊外にあるアマタ・スプリングCCで合宿をスタートさせた。昨年11月から石川の父の個人事務所がマネジメントを担当している同世代の男子プロ、山形陵馬と女子プロの大江香織が参加、帰国後はすぐに新潟のスキー場など精力的に場所を移動してトレーニングをしている。

三郷市にマンションを購入、合宿所仕様で1ルーム中心の10室。三郷は空港やゴルフ場へのアクセスの利便性確保の他、実家のある松伏町とは結びつきが強い。

また5歳年下の妹は「石川遼カップジュニアゴルフ選手権地区大会」で初優勝を飾った。

石川フィーバーに伴う騒動・出来事 [編集]
2007年関東アマチュアゴルフ選手権にて、TBSが石川に取材を試みようとし、同伴競技者に小型マイクを装着する依頼を行った。しかし、依頼は通らず、選手は大会主催者に報告をした。また、同日にTBSのヘリコプターを大会中に飛ばし、プレイを妨げる事件が起きた。この迷惑行為により、TBSは関東ゴルフ連盟に謝罪を行い、同日午前放送の番組で陳謝した[10]。また、同局の『筑紫哲也 NEWS23』キャスターの膳場貴子が石川宛に書いた手紙をスタッフが手渡そうとしたことも発覚。ちなみに、この作戦は失敗に終わった。
また2007年の全米オープンの開幕前の会見でテレビ朝日の記者がタイガー・ウッズフィル・ミケルソンに「ハニカミ王子を知っていますか?」と質問し、産経新聞が「メジャーの舞台では全く場違いな質問であり、世界中の記者から失笑がもれた」と報じた。ウッズとミケルソンは大人の対応でその質問に答えた。またテレビ朝日はウッズには事前に石川のプレーのビデオを見せていたことも分かった。
2007年9月3日、ギネスブック認定会見では、日本テレビの番組『ラジかるッ』のカメラが主催者の許可無く勝手に取材をし、お笑い芸人が石川にポーズを強要したとのことで主催者側の怒りを買うという事件も発生。なお、同局は映像の放送を自粛した。
2008年4月25日〜27日に行われたつるやオープンゴルフトーナメントでは、多数のギャラリーの対応の為に、送迎バスの増発や会場の最寄駅である能勢電鉄日生中央駅の発車ダイヤは臨時ダイヤになり増発となった。また、ギャラリーの女性が転倒・骨折し救急車に運ばれる事故も発生。
2009年8月2日のサン・クロレラクラシック最終日の17番ホールと最終ホールにて、同スコアで並んでいたオーストラリアのブレンダン・ジョーンズがパットを外した際、観客の一部から拍手が起こった。後に大会主催者がブレンダンに謝罪した。テレビの解説者も放送内で苦言を呈し、石川も「ゴルフは紳士のスポーツで、(相手が)外したことを喜ぶ応援のスタイルはない。ギャラリーの方も真摯な気持ちで観戦してもらいたい」と話している[11]。
2009年9月から10月まで京阪宇治バスで宇治営業所のノンステップバス1台に石川の顔写真がラッピングされたバスが運行されていた(パナソニックによる広告掲出)。
石川目当てのギャラリーによる迷惑行為は数多く起きており、シャッター音などでプレーの妨げになるなど、ギャラリーのマナーを問う声がある。
2009年11月29日のカシオワールドオープンにて、取材中のTBSスタッフの乗ったカートが暴走。ギャラリー数人をはね、女性1人がカートの下敷きになり眼窩底骨折などの怪我を負った[12]。
その他 [編集]
石川は、スター・システムの代表例として取り上げられることが多い。
「ぽっちゃり王子」こと古田幸希と仲が良い。記者会見などでは、2人が漫才のような絶妙の掛け合いで会場を笑わせるため、各局のスポーツニュースでは「W王子の爆笑会見」として、トップニュースとして扱うことがある。
2007年5月25日に、優勝報告のため、埼玉県庁を訪れた際、上田知事から県のマスコット・コバトンのぬいぐるみが贈られた。
子供の頃、サッカー少年だったこともあり、大のサッカー好きで、地元のサッカーチーム・浦和レッドダイヤモンズのファンである。
憧れのプロゴルファーは、イアン・ポールターで、彼の独特なファッションセンスに魅力を感じている。また、憧れの男性は、SMAP木村拓哉と自身のブログで綴っており、2008年に、番組での対談がきっかけで、メル友になった。
2008年に、出身地の松伏町松伏総合公園に、石川選手を称える石碑が設置された。また、同町を管轄する吉川警察署の一日署長に任命された。
試合前には、音楽を聴いて気持ちを落ち着かせている。よく聴いているアーティストはYUIで、「SMAP×SMAP」内のコーナー「BISTRO SMAP」に出演した際、YUIからビデオ・メッセージが送られた。
小学生の頃から、松伏町の自宅から車で30分程度の距離にある、千葉県野田市にあるゴルフ練習場に通って練習をしていた。
2010年4月4日より自らがホストを勤めるゴルフトーク番組「石川遼スペシャル RESPECT 〜ゴルフを愛する人々へ〜」がテレビ東京で放送される。
2010年5月5日、東京・六本木ヒルズにて行われたイベント「日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills ファンとの集い」にて、深堀圭一郎から「行きたいコンサートは?」と問われ「AKB48」と返答。「観たことはないけど、同世代。学生時代の友人にもファンが多かった。お互い活動する世界は違うけど、これから勉強したい」と人気絶頂のアイドルグループにも興味を示した。
CM [編集]
信用金庫(父が信用金庫職員、これが縁で出演)
ヨネックス(2008年 - )
全日本空輸(2009年 - )
FOOD ACTION NIPPON(2009年 - )
トヨタ自動車 こども店長「ライバルあらわる」編、ハニカミ店長役(2009年 - )
第一三共ヘルスケアパテックス、ルル)(2009年 - )
キリンビール 淡麗グリーンラベル(2010年 - )
ロッテ(2010年)
コナカ(2010年)
PanasonicVIERA」(2010年 - )
ハウス食品 カレートータル(2010年 - )
日本マクドナルドマクドナルドの日本の味」キャンペーン(2010年)
日本コカコーラ アクエリアス「僕にはできる。」キャンペーン(2010年4月-)
脚注 [編集]
^ "誰も予想しなかった、世界最年少アマチュアV!!". DUNLOP SPORTS ENTERPRISES (2007-5-20). 2007年6月6日閲覧。
^ アマチュアには出場資格はなかったが、東児が丘マリンヒルGCにて石川がマンシングウェアオープン KSBカップで優勝したため、規定を変更して出場資格が与えられた
^ ゴルフ日本シリーズJTカップは予選がないため含めず
^ ただし関西オープンはツアートーナメント外の大会で賞金もランキングに加算されない
^ "石川遼、マスターズ出場決定 17歳7カ月は大会史上2番目の若さ". 産経新聞 (2009年1月23日). 同日閲覧。
^ NORMAN, COUPLES ANNOUNCE CAPTAIN'S PICKS PGATOUR.COM 2009年9月9日閲覧
^ 石川遼はペリーに競り勝つ プレジデンツ・ゴルフ最終日 47 NEWS 2009年10月12日閲覧
^ 【GOLF】18歳石川、過去最高の9冠達成! JGTO表彰式 ISM 2009年12月7日閲覧
^ 「東児が丘の王子は笑顔がすてきなハニカミ王子でもあった」と、中継終了直前に喋った
^ "ゴルフの石川選手取材、TBSが不適切行為として陳謝". 朝日新聞 (2007-6-6). 2007年6月6日閲覧。
^ ゴルフ:パット外れ観客拍手、豪州選手にツアー主催者謝罪毎日jp2009年8月15日
^ カート暴走、女性重傷 石川選手も目撃「寒気がした」asahi.com朝日新聞社)2009年11月29日
関連項目 [編集]
斎藤佑樹 - 「ハンカチ王子」と呼ばれ、「ハニカミ王子」の由来の一つ。
鷹巣南雄 - 「2008年4月1日」付で、杉並学院ゴルフ部監督就任。
尾崎将司 - 師匠と仰いでいる。
逢川まさき - 演歌歌手。キャッチフレーズは「甘い艶のある低音の響きを持つ新人」「歌謡界のハニカミ王子誕生」。石川に似ていることから名づけられた。
スター・システム - 石川の大衆へのメディアイメージ戦略。
外部リンク [編集]
石川 遼オフィシャルサイト
イソガバ.マワルナ - オフィシャルブログ
日本ゴルフ協会 - 石川 遼
JGTOによるプロフィール - 石川 遼
パナソニック石川遼公認応援サイト - 所属先
[表示]表・話・編・歴 日本男子ゴルフ歴代賞金王

1970年代 73 尾崎将司 | 74 尾崎将司 | 75 村上隆 | 76 青木功 | 77 尾崎将司 | 78 青木功 | 79 青木功

1980年代 80 青木功 | 81 青木功 | 82 中島常幸 | 83 中島常幸 | 84 前田新作 | 85 中島常幸 | 86 中島常幸 | 87 D.イシイ | 88 尾崎将司 | 89 尾崎将司

1990年代 90 尾崎将司 | 91 尾崎直道 | 92 尾崎将司 | 93 飯合肇 | 94 尾崎将司 | 95 尾崎将司 | 96 尾崎将司 | 97 尾崎将司 | 98 尾崎将司 | 99 尾崎直道

2000年代 00 片山晋呉 | 01 伊沢利光 | 02 谷口徹 | 03 伊沢利光 | 04 片山晋呉 | 05 片山晋呉 | 06 片山晋呉 | 07 谷口徹 | 08 片山晋呉 | 09 石川遼

[表示]表・話・編・歴プレジデンツカップ世界選抜 - 2009

キャプテン:グレグ・ノーマン
ジェフ・オギルビー / ビジェイ・シン / カミロ・ビジェガス / レティーフ・グーセン / アーニー・エルス / アンヘルカブレラ / マイク・ウェア / ロバート・アレンビー / Y.E.ヤン / ティム・クラーク / アダム・スコット / 石川遼

[表示]表・話・編・歴日本プロスポーツ大賞 受賞者・団体

1960年代 68 西城正三 | 69 読売巨人軍

1970年代 70 大鵬幸喜 | 71 長嶋茂雄 | 72 松本勝明 | 73 沢村忠 | 74 王貞治 | 75 広島東洋カープ | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 ヤクルトスワローズ | 79 具志堅用高

1980年代 80 具志堅用高 | 81 中野浩一 | 82 落合博満 | 83 広岡達朗 | 84 衣笠祥雄 | 85 ランディ・バース | 86 落合博満 | 87 岡本綾子 | 88 千代の富士貢 | 89 千代の富士

1990年代 90 野茂英雄 | 91 辰吉丈一郎 | 92 貴花田光司 | 93 三浦知良 | 94 イチロー | 95 イチロー | 96 尾崎将司 | 97 中田英寿 | 98 佐々木主浩 | 99 松坂大輔

2000年代 00 松井秀喜 | 01 イチロー | 02 FIFAワールドカップ日本代表 | 03 松井秀喜 | 04 朝青龍明徳 | 05 朝青龍明徳 | 06 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 | 07 浦和レッドダイヤモンズ | 08 石川遼 | 09 石川遼

[表示]表・話・編・歴ゴールデン・アロー賞 スポーツ賞受賞者

2004 古田敦也 | 2005 宮里藍 | 2006 新庄剛志 | 2007 石川遼

2007年にて終了

[表示]表・話・編・歴歴代の新語・流行語大賞の受賞者 (年間大賞選定以後) ※受賞者の役職は当時のもの

第8回(1991年) …じゃあ〜りませんか チャーリー浜

第9回(1992年) 「うれしいような、かなしいような」「はだかのおつきあい」 きんさんぎんさん

第10回(1993年) Jリーグ 川淵三郎Jリーグチェアマン

第11回(1994年) すったもんだがありました 宮沢りえ イチロー(効果) イチローオリックス・ブルーウェーブ)同情するならカネをくれ 安達祐実

第12回(1995年) 無党派 青島幸男東京都知事)NOMO 野茂英雄ロサンゼルス・ドジャースがんばろうKOBE 仰木彬オリックス・ブルーウェーブ監督)

第13回(1996年) 自分で自分をほめたい 有森裕子(マラソン選手)友愛 / 排除の論理鳩山由紀夫民主党代表)メークドラマ 長嶋茂雄読売ジャイアンツ監督)

第14回(1997年) 失楽園(する) 渡辺淳一黒木瞳

第15回(1998年) ハマの大魔神 佐々木主浩横浜ベイスターズ)だっちゅーの パイレーツ(お笑い芸人)

第16回(1999年) ブッチホン 小渕恵三内閣総理大臣)リベンジ 松坂大輔西武ライオンズ)雑草魂 上原浩治読売ジャイアンツ

第17回(2000年) おっはー 慎吾ママIT革命 木下斉(商店街ネットワーク社長・早稲田大学高等学院三年)

第18回(2001年) 「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」) 小泉純一郎内閣総理大臣

第19回(2002年) タマちゃん 佐々木裕司(川崎市民)、黒住祐子(フジテレビ・レポーター)W杯(中津江村) 坂本休(中津江村・村長)

第20回(2003年) 毒まんじゅう 野中広務(元衆議院議員)なんでだろ〜 テツandトモ(お笑いグループ)マニフェスト 北川正恭早稲田大学教授)

第21回(2004年) チョー気持ちいい 北島康介(水泳選手)

第22回(2005年) 小泉劇場 武部勤自由民主党幹事長)ほか想定内(外) 堀江貴文ライブドア社長)

第23回(2006年) イナバウアー 荒川静香(プロスケーター)品格 藤原正彦(数学者)

第24回(2007年) (宮崎を)どげんかせんといかん 東国原英夫(宮崎県知事)ハニカミ王子 石川遼(ゴルフ選手)

第25回(2008年) グ〜! エド・はるみアラフォー 天海祐希

第26回(2009年) 政権交代 鳩山由紀夫内閣総理大臣

第1回 - 第7回 | 第8回 -

この「石川遼」は、スポーツ関係者に関連した書きかけ項目です。この項目を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています(ポータル スポーツ/ウィキプロジェクト スポーツ人物伝)。

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最終更新 2010年5月28日 (金) 09:23