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ポンペイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

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この項目では、イタリアの世界遺産について記述しています。カンパニア州コムーネについては「ポンペイ (イタリアのコムーネ)」を、ミクロネシア連邦ポンペイについては「ポンペイ島」をご覧ください。
ポンペイ
(イタリア)



ポンペイのフォルム
英名 Archaeological Areas of Pompeii
仏名 Zones archéologiques de Pompéi
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(iii) (iv) (v)
登録年 1997年
拡張年
備考
公式サイト ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています
表・話・編・歴

野外闘技場跡よりヴェスヴィオ火山を望むポンペイラテン語:Pompeii、イタリア語:Pompei)は、1世紀までナポリ近郊にあった都市で、イタリアの世界遺産である。79年のヴェスヴィオ火山噴火による火山灰で地中に埋もれた。18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。

目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 79年のヴェスヴィオ火山噴火
4 現在のポンペイ
5 ポンペイを題材にした作品
5.1 映画
5.2 絵画
5.3 小説
5.4 ゲーム
6 関連項目
7 参考文献

概要 [編集]
末期はローマの属国となり、ローマ人の余暇地として栄えた。最盛期の人口は約2万人といわれる。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。市民の大多数はローマなどに逃げたが、助からなかった市民も多くいた。

軍人でもあった博物学者のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)は、ポンペイの市民を救助するために船で急行したが、煙に巻かれて死んだことが甥のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)による当時の記述から知られている。

現在、カンパニア州ナポリ県に人口25,751人の同名のコムーネである「ポンペイ」があるが、その中心部は古代ローマ時代のポンペイとは少し離れている。イタリア南西部ナポリ近郊にあるこの町は、2,000年の時を経て今もなお、およそ1万2千人が暮した町は当時の面影を色濃く残している。

イタリア語での発音はeにアクセントがあるため、「ポンペーイ」に近い。

歴史 [編集]
イタリア先住のオスキ人によって集落が形成された。紀元前7世紀、サルノ川の河口付近の丘に集落があった。その後、紀元前526年からエトルリア人に占領されたが、ポンペイ市民はイタリア南部に居住していたギリシャ人と同盟を組み、紀元前474年クマエの海戦で支配から脱した。ギリシャ人はその後ナポリ湾を支配した。紀元前5世紀後半からサムニウム人の侵攻が始まり、紀元前424年にはサムニウム人に征服されることとなった。サムニウム人はまた、カンパニア全体を支配した。この時代、ローマがポンペイを征服したという説があったが現在、この説を裏付けるものはない。

カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、ポンペイも反ローマ側に加わった。しかし、紀元前89年、ルキウス・コルネリウス・スッラによって町は征服された。これによりポンペイは周辺のカンパニア諸都市とともにローマの植民都市となった。ローマの支配下に入った後のポンペイの正式名はColonia Cornelia Veneria Pompeianorum(ポンペイ人によるウェヌス女神に献呈されたコルネリウスの植民市)となった。ポンペイは、港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後、商業都市として栄えた。


娼館に残っていた壁画町の守護者は美と恋愛の女神ウェヌスであった。娼婦の館などが発掘され、ここで男女の交わりを描いた壁画が多く出土したことから、現代ではポンペイは快楽の都市とも呼ばれる。ただし主な産業はワイン醸造だったらしい。この土地は火山噴火まではぶどうの産地であった。港湾都市でもあり、商業も盛んであったことは、ワインを運ぶための壺が多数出土されていることからも裏付けられる(現在はポンペイ周辺で水位が極度に下がっているが、当時は港もあり海洋都市でもあった)。碁盤の目状に通りがあり、大きな通りは石により舗装されていた。市の中心には広場もあり、かなり計画的に設計された都市であることも分かっている。また、当時は性的におおらかな時代であり、ポンペイのような商業都市には商人向けの娼婦館のような施設は多かったという主張もある。

79年のヴェスヴィオ火山噴火 [編集]

79年のヴェスヴィオ山(ラテン語名:ウェスウィウス)噴火による被害地区(黒色部分)62年2月5日、激しい地震ポンペイを襲った。これにより、ポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けた。町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業も完全には終わらない79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25日に完全に地中に埋まった。

当時、唯一の信頼できる記録は、死亡したガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)の甥のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)が歴史家タキトゥスに宛てた手紙である。これによると、大プリニウスはヴェスヴィオ火山の山頂、火口付近から、松の木のような形の暗い雲を見た。雲は山の斜面を急速に下り、海にまで雪崩れ込んだ。そして雲は火口から海までを覆った。小プリニウスが書いたこの現象は、現在では火砕流として知られる。これは、火山が噴火したときに、高温ガスや灰や岩石が雪崩れのように流れる現象である。プリニウスは、爆発時に地震を感じ、地面は非常に揺れた、と述べた。さらに、灰がどんどん積もり、彼がいた村から逃げなければならなかった。そして、海の水がみるみる引いていき、「津波」がおきた。ただし、当時のヨーロッパ人は津波Tsunami)という言葉を持っていなかったので、プリニウスの表現は違っている。プリニウスの次の記述は、太陽が爆発によって覆われてよく見えなかった、と続いている。大プリニウスはこの現象を調査するため、船で再び陸に向かったが、窒息して死んだ。二酸化炭素中毒によるもの(訳者註:二酸化硫黄のことか?)と現在では考えられている。

現在のポンペイ [編集]
ポンペイ (イタリアのコムーネ)」も参照


肖像画、フレスコ、国立ナポリ考古学博物館壊滅後は二度と集落が作られることはなかったが、その後1000年以上「町」という地名で呼ばれ、散発的に古代の品が回収され、下に都市が埋まっていることは知られていた。

その後、ヘルクラネウム(現在のエルコラーノにあった)は1738年に、ポンペイは1748年に再発見された。これらの町は建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために、この後断続的に発掘された。ドメニコ・フォンターナ)という建築家が、サルノ川沿いを掘っていた1599年に遺跡を見つけてから、150年が経過していた。この時点まで、ヘルクラネウムポンペイは完璧に消滅したと考えられていた。いくつかの男女の交わりを描く美術品(フレスコ画)は、最初フォンターナによって発掘されたが、将来、考古学者によって再発見されたほうが重要性がわかるであろうと判断したフォンターナ自身が埋め戻したとされる。ただしこれには明確な証拠はない。

ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっている。ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっている。男女の交わりを描いた絵も有名で、これらはフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けていた。1000平方メートルの広さをもつホテルは、町のそばで見つかった。現在、このホテルは、「グランドホテルMurecine」と呼ばれる。

なぜ、ポンペイの壁画は豊かな色彩を失わなかったのか。その秘密はこの街を襲った悲劇にある。西暦79年8月24日、町の北西 10 キロメートルにあるヴェスヴィオ火山が突如大噴火。押し寄せた火砕流や有毒ガスがポンペイの人々の命を次々と奪っていった。降り注ぐ火山灰は、僅か1日足らずで 5 メートルの深さに町全体を飲み込んだ。ポンペイが人々にその姿を再び現したのは18世紀半ば。以降、今に至るまで発掘が続けられている。地中から次々と現れるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕した。その美しさの秘密は、実は町に降り積もった火山灰にあった。火山灰には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収する性質があった。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたのであった。当時の宗教儀式の様子を描いた壁画。鮮烈な色合いは「ポンペイ・レッド」と呼ばれ、2,000年の時を越えて、人々を魅了し続けている。ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになった。

ポンペイは、その後の修正が一切なく、建造物や街区が当時のままの唯一の町として知られている。後の歴史家たちは、その歴史家の生きた時代のローマが、古代ローマのものをそのまま伝えていると誤認していた。しかし、ポンペイは、最も純粋に古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りによって規則的に区切られ、計画的に設計された町であった。通りの両側には家と店がある。建造物は石でできていた。


石膏で復元した遺体79年の爆発のとき、逃げ遅れた人々は火山灰の中に埋もれて死んだ。後に発掘されたとき、遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現した。顔までは再現できなかったが、これらのうちのいくつかは、恐怖の表情がはっきり分かる。母親が子供を覆い隠し、火山灰から子供だけでも守ろうとした様子も、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子も、生々しく再現された。

町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きは、当時のラテン語をそのまま伝える。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。ポンペイは確かに当時とても活気のある都市だった。上下水道が整備され、きれいな水が町中に送られていた。水道の弁は、水の量を調節して出す仕組みが現在とほとんど変わらない。

爆発時、町の人口は1万人弱で、ローマ人(ローマ市の住民)の別荘も多くあり、また、彼ら向けのサービスも多くあった。Macellum(大きな食物市場)、Pistrinum(製粉所)、Thermopolia(冷たいものや熱いものなどさまざまな飲料を提供したバー)、cauporioe(小さなレストラン)、円形劇場など。

2002年には、サルノ川河口で重要な発見がされた。ここにボートを浮かべ、ヴェネツィアのような船上生活をしていた人がいたことが判明したのである。これらの結果は続々と報告されつつある。

「市民全員が噴火で死亡し、唯一の生き残りの死刑囚がポンペイの町のことを語ったが、誰も信用しなかった。しかしそれは伝説として残り、発掘されることになった。」という逸話は都市伝説のようである(この逸話は1902年に、西インド諸島のフランス領マルティニーク島にあるプレー火山(フランス語の「山」をつけて「モンプレー」とも表記される)で起きた大噴火を下敷きにしていると思われる。この噴火では火砕流によりふもとのサンピエール市の住民約2万8千人がほぼ全滅し、生存者は警察の留置場に拘留されていた死刑囚と地下倉庫に隠れていた靴職人の2名のみであった)。 また、この町は19時間で消滅した。

ポンペイを題材にした作品 [編集]

カール・ブリューロフ作、「ポンペイ最後の日」 映画 [編集]
ポンペイ最後の日(1926年、監督:カルミネ・ガローネ、アムレート・パレルミ)
ポンペイ最後の日(1935年、監督:アーネスト・B・シュードサック
ポンペイ最後の日(1960年、監督:マリオ・ボンナルド
絵画 [編集]
ポンペイ最後の日(The last Day of Pompeii、1830-33年、カール・ブリューロフ)
ポンペイ(1938年、ポール・デルヴォー
小説 [編集]
ポンペイ最後の日1834年エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン)
ポンペイの四日間(2003年、ロバート・ハリス
ゲーム [編集]
Darkest of days(2009年、8monkey Labs and Phantom EFX)
関連項目 [編集]
エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン
ポンペイの壁画の様式
参考文献 [編集]
ウィキメディア・コモンズには、ポンペイに関連するマルチメディアおよびカテゴリがあります。『優雅でみだらなポンペイ本村凌二 (講談社、2004年)
ポンペイ・グラフィティ』本村凌二中公新書中央公論社、1996年)
『ローマの古代都市』ピエール・グリマル (北野徹訳、文庫クセジュ白水社、1995年)
ポンペイ 古代ローマ都市の蘇生』浅香正(芸艸堂、1995年、ISBN 978-4753801695)
ポンペイ・奇跡の町 甦る古代ローマ文明』 ロベール・エティエンヌ
阪田由美子、片岡純子訳  <「知の再発見」双書10>創元社、 1991年



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最終更新 2009年12月15日 (火) 07:49










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